1. コラム

プロより儲かる大学スポーツ(上)

このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです

 今月7日にカリフォルニア州パサデナにて、大学フットボールの全米チャンピオンを決定する「BCSナショナル・チャンピオンシップ・ゲーム」が開催されました。アラバマ大学とテキサス大学という、レギュラーシーズンを全勝したチーム同士の対戦となり、約9万3000名の大観客が詰めかけました。テレビ中継では約2850万人の視聴者をくぎ付けにして、1試合の視聴者数では松井選手が活躍した昨年のワールドシリーズを上回りました。

 同じ日、米国から帰国した日本プロ野球機構(NPB)の加藤良三コミッショナーが、メジャーリーグ(MLB)のバド・セリグ・コミッショナーから、日米王者による「グローバル・ワールドシリーズ」の開催を提案されたことが大きく報じられました。しかし、このニュースは米国では大学フットボールの報道にかき消されました。米国スポーツファンの日本野球への無関心さも手伝って、ほとんど報じられることがなかったわけです。

 さて、試合は開始直後にテキサス大の先発QBがけがで退場する波乱があり、堅調に試合を進めたアラバマ大学が37-21でテキサス大学を下し、全米チャンピオンに輝きました。アラバマ大学は8度目の全米制覇となり、同大学を率いたニック・セイバン監督は2つの大学を全米チャンピオンに導いた初めてのヘッドコーチとなりました(同氏は2003年にルイジアナ州立大学でも全米制覇している)。

 このセイバン氏ですが、2007年にアラバマ大学との間に8年総額3200万ドル(約28億8000万円)もの巨額の長期契約を結んでいます。この年俸は、当時の大学フットボール界で最高年俸でした。年俸400万ドル(約3億6000万円)は、全米プロフットボールリーグ(NFL)のコーチと比べても遜色ない金額です。一方、敗れたテキサス大のマック・ブラウン監督の今シーズンの年俸は、何とセイバン氏を上回る510万ドル(約4億5900万円)。両ヘッドコーチの契約には、全米ナンバーワンに輝いた場合のインセンティブ・ボーナスも定められており、こちらは年俸で負けているセイバン氏が手にすることになりました。一夜の采配で40万ドル(約3600万円)を手にしたセイバン氏は、ブラウン氏との差を少し縮めた格好になりました。

 しかし、大学運動部の監督に数億円もの年俸を支払うことは、日本ではあまりピンとこないかもしれません。今回のコラムでは、プロスポーツと並んで大きなビジネスとして成長している大学スポーツについて、その秘密を解き明かしてみようと思います。

フットボール部が66億円を稼ぐ

 米国の大学スポーツ界では、大学運動部が稼ぐ全収入に占めるフットボール部の貢献度は突出しています。下図は2007-08年シーズンにおける運動部収入上位5大学の図表にしたものです。どの大学でも、フットボール部からの収入だけで全運動部からの収入の6割前後を捻出していることが分かります。


出所:SportsBusiness Journal
注)ウィスコンシン大のフットボール収入は不明

 全運動部からの収入で全米トップだったのは、奇しくもアラバマ大学と今年全米チャンピオンを争ったテキサス大でした。同大学はフットボール部からの収入でも全米ナンバーワンでした。下表は2007-08年シーズンにおけるフットボール収入トップ5とその利益をグラフ化したものですが、テキサス大学フットボール部の収入は約7300万ドル(約66億円)となっています。これは、経営規模で言えばJリーグで断トツの営業収入約71億円(2008年度)を誇る浦和レッズに匹敵します。

 また、驚くべきはフットボール部が稼ぎ出す利益で、例えば前述のテキサス大は4620万ドル(約42億円)の利益をたたき出しています。浦和レッズの営業利益は3400万円(2008年度)、Jリーグトップの営業利益を誇るジェフユナイテッド千葉でも3億9100万円(同)ですから、利益率からみれば桁違いであることが分かります。

出所:SportsBusiness Journal, Forbes

 もっとも、大学スポーツの場合は、収入としてプロスポーツと同様のチケット収入やスポンサーシップ収入、テレビ放映権収入、グッズ収入のほかに、OB/OGからの多額の寄付金がある上、支出としてプロスポーツで収入の5~6割を占める選手への年俸を支払う必要がない点などを、大学スポーツの高収益体質の要因として指摘しておかなければなりませんが。

 このように、プロ顔負けの収入と利益を誇る大学フットボール部なのですが、なぜ大学スポーツにあってフットボールだけが突出した収入を上げることができるのでしょうか?

フットボールが大学スポーツの花形になったワケ

 実は、フットボールは20世紀初頭には既に大学スポーツの花形的存在だったと言われています。

 19世紀半ばまで、米国の大学スポーツは学内単体で行う課外活動の域を出るものではありませんでした。この流れを大きく変え、大学スポーツの商業化の先鞭をつけたのが、大学対抗戦の登場でした。米国の大学史上初の大学対抗戦は、エール大学とハーバード大学のボート部によるレガッタ対抗戦で、1852年のことでした。対抗戦が多くの観客を呼び込み、そこに協賛企業が現れる可能性が分かると、野球やフットボール、陸上競技、バスケットボール、アイスホッケーなどの競技でも次々と大学対抗戦が開催されるようになります。

 しかし、数ある運動部の中で、なぜフットボールだけが大学スポーツの花形として突出した存在感を示すようになったのでしょう?

 その大きな理由として、「感謝祭ゲーム」の存在が挙げられます。これは、ハーバードやエール、プリンストン大学などの現アイビーリーグの大学によって感謝祭(11月の第4木曜日)に実施されるようになった大学対抗戦で、1890年代半ばには、感謝祭当日に5000もの試合が行われ、12万人の学生選手がそれに参加したと言われています。アイビーリーグと言えば、言わずと知れた全米屈指のエリート校です。感謝祭には、家族や友人が集って食事を共にするという伝統がありますが、この感謝祭ゲームが年間恒例行事としてアイビーリーグ出身の社会的エリートを大学と結びつけ、同窓意識を高めて多額の寄付金を集める大学にはなくてはならない「集金マシーン」として機能したのです。

 さらに、フットボールの持つ競技特性が、20世紀の米国の社会的背景とマッチしたとも言われています。

 肉弾戦であるフットボールの持つ暴力性・荒々しさが、男らしさや力強さを求めるアングロサクソン社会的特徴にうまく適合したという意見です。時に20世紀は米国が世界の政治舞台に参入していくことになった時代です。フットボールが米国に求められる「力強さのシンボル」としての旗印になったというわけです。地上戦(ランプレー)と空中戦(パスプレー)による戦争の疑似化という競技特性が、都市化が進むにつれて米国人が忘れかけていたフロンティア・スピリットを呼び覚まし、自分たちが何者であったかを思い出させるなどという意見もあります。

 また、フットボールが大学スポーツの花形的存在であり続けている背景には、こうした社会的要因のほかにスポーツ産業としてのプロ・アマ間の構造的要因も指摘しておかなければなりません。

「高卒プロ」を許さぬフットボール界

 ご存知の通り、米国では野球、アメフト、バスケットボール、アイスホッケーが「4大プロスポーツ」と言われます。しかし、大学スポーツではフットボールだけが前述のように突出した収益力を誇っています。実はその秘密は、プロスポーツの育成制度と密接な関係があります。

 大学スポーツではフットボールと並んでバスケットボールも大変な人気を博しているのですが、この2つの競技に共通するのは、トッププロリーグであるNFLと米プロバスケットボール協会(NBA)に実質的なマイナー組織がないためです。つまり、大学運動部がプロスポーツの人材育成機関として機能し、プロリーグに優秀な人材を供給する役割を果たしているのです。これとは逆に、MLBにも米プロアイスホッケーリーグ(NHL)にも大規模なマイナーリーグが存在し、優秀な選手は高校卒業後にドラフトでプロに入っています。

 そのため、フットボールやバスケットボールでは優秀な人材が大学に残るため、ハイレベルな戦いが繰り広げられるのです。しかも、バスケットボール界には「アーリー・エントリー」(早期入団)と呼ばれる制度があり、大学で1年プレーして19歳になればドラフトで指名を受けることができる一方、フットボール界では大学で3年間プレーしないとドラフトで指名できないルールになっているので、他の運動部と比較するとフットボール部に優秀な人材が多く残る仕組みになっています。

 例えば、2006年の夏の甲子園大会を大いに盛り上げた「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹選手と田中将大選手は、高校卒業後は大学進学とプロ転向という別々の道を歩むことになりました。しかし、もし日本のプロ野球に2軍がなく、2人とも大学に進学していたとすれば、大学野球はもっと盛り上がっているはずです。このように考えると、優れた人材がほぼ全員、大学に残ることのインパクトが理解できるのではないでしょうか。

プロ・アマを共存させる2つの“時間差戦略”

 フットボールに少し詳しい方の中には、「NFLとシーズンが重複しているが、ファンの奪い合いにはならないのか」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、両者は「同じ競技だが別のスポーツである」と形容した方がいいほどうまく差別化されており、むしろ相乗効果が働いています。これは、日本のプロ野球と高校野球をイメージして頂くとピンと来るかもしれません。

 当然ながら、大学フットボールと、全米から選りすぐりのエリート選手を集めたNFLとでは、プレーのレベルに大きな差があります。

 純粋に高度なフットボールを観戦したいというのなら、NFLに軍配が上がります。しかし、大学フットボールにはNFLほど完成されていないからこそ生まれるドラマ性が内包されています。野球で例えれば、「9回裏2アウトランナーなしから5点差をひっくり返す」ようなドラマは、NFLではまず起こりません。また、どんなスター選手でも4年でチームを後にしなければならないという大学スポーツの環境は、チームの新陳代謝を自動的に促し、ファンに毎年新鮮な息吹を届けてくれるのです。

 米国フットボール界の素晴らしいところは、プロとアマが相乗効果を保ちながら共存できるように、両者の差別化を仕組みとしてコントロールしている点です。

 米国では、まず高校フットボールが8月中旬に開幕し、次に大学フットボールが同下旬に開幕、最後にNFLがレイバー・デー(日本で言う「勤労感謝の日」で、毎年9月の第1月曜日)後に開幕と、下のレベルから順々にシーズンがオープンしていく形がとられています。これは、相撲で言えば序の口→序二段→三段目→幕下→十両→幕内のように番付の下の力士から対戦していく中で、ファンの熱気が高まっていくような感じでしょうか。米国フットボール界あげて、時間差開幕を実施して、上のレベルのフットボールへの注目を高めているわけです。

 こうした時間差戦略は、シーズン開幕にだけでなく、週末のテレビ中継でも実施されています。米国では金曜日の夜は高校フットボール、土曜日は大学、日曜日はNFLの試合が中継されます。試合開催日を分けることで、ファンの奪い合いを防ぎ、さらに開幕同様、レベルが低い試合から見せていくことで、週末にフットボール熱が徐々に高まっていくように仕組まれているのです。

 こうしたプロとアマが手を組んだ戦略的なスケジュール管理は、他のスポーツでは見られないものです。

 このように、米大学スポーツ界でもフットボールが突出して高い人気と収益力を誇っている背景には、その競技特性が20世紀の米国社会にうまく適合したという要因や卒業生から寄付金を集める「集金マシーン」としての機能、優秀な人材が大学スポーツ界に残るスポーツ産業の構造的な仕組み、プロとアマによる戦略的な“商品プレゼンテーション戦略”とでも呼ぶべき取り組みがあるのです。こうして、フットボールは大学にとって「カネのなる木」になりました。

 次回のコラムでは、米国の大学が、どのようにカネのなる木をフル活用しているのか、見ていきたいと思います。

(次回につづく)

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