1. コラム

東京五輪を“レガシー詐欺”にしないために

このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです

 7月24日で東京五輪開幕までちょうど2年となり、各地でカウントダウンイベントが企画・実施されました。一方、連日の猛暑から真夏に五輪を開催することに懸念が広がり、競技開始時間をずらしたり、アスファルトに特殊な舗装を施して暑さを和らげるなどの対応が検討されています。

 また、混雑緩和のために政府がお盆休みの取得を五輪期間中にずらすように企業に要請したり、大会ボランティアを確保しやすいように文科省が全国の大学や高等専門学校に授業や試験期間を繰り上げるなど対応を求める通知を出しています。最近では、五輪を機にサマータイム制度の導入を模索する動きも見られます。これらの是非はともかく、開催まで2年を切って生活感ある身近な話題が増えてきました。こうしたニュースを見聞きすることで「本当に東京で五輪が開催されるんだ」と改めて実感された方も多かったことでしょう。

 ところで、現在五輪のビジネスモデルは曲がり角を迎えています。端的に言えば、たった17日間のイベントにお金がかかりすぎるのです。こうした批判に対処するために、国際オリンピック委員会(IOC)も近年は「レガシー」という言葉を活用することで、大会後も持続的に残る社会資本(Social Capital)を五輪の長期的な効果として強調するようになりました。

 しかし、「レガシー」という耳障りはいいものの、曖昧で何を意味するのか分かりづらい言葉に首をかしげる向きもあるのではないかと思います。日を追って五輪開催への実感が高まる中、実感の伴いにくい「レガシー」という言葉が五輪の不経済性に目をつむる免罪符になってしまっては本末転倒です。

 五輪開催後、国民から「東京五輪は“レガシー詐欺”だった」と記憶され、世界のスポーツビジネス関係者から「五輪招致モデルに終止符を打った大会」と評価されないようにするためには、莫大な開催費用に見合ったレガシーが生み出されたのかどうかきちんと検証する必要があるでしょう。今回のコラムでは、その1つの有効な取り組みとして、「レガシー」を定量的に算出する米国での最新の試みをご紹介しようと思います。

雪だるま式に開催費用が膨らむ

 五輪はたった2週間ちょっとの短期イベントにも関わらず、巨額な開催費用が必要なことで知られています。五輪開催費用の包括的な調査として知られる英オックスフォード大学による「The Oxford Olympics Study 2016: Cost and Cost Overrun at the Games」によれば、1960年のローマ五輪から2016年のリオ五輪までの30大会中、開催費用の数字が取得できた25大会において、その平均開催費用は夏季五輪が約52億ドル(5720億円)、冬季五輪が約31億ドル(3410億円)となっています。ちなみに、過去最も多額の費用がかかった大会は、夏季五輪は2012年ロンドン五輪の150億ドル(1兆6500億円)、冬季は2014年ソチ五輪の219億ドル(2兆4090億円)でした。

過去の五輪の開催費用(単位:10億ドル)


出所:The Oxford Olympics Study 2016: Cost and Cost Overrun at the Games 
注)青が夏季、オレンジが冬季五輪大会。開催費用は2015年の米ドル換算

 五輪の大きな問題点は、その巨額な開催費用もさることながら、招致計画段階の見積もりを大幅に超過する傾向が強い点です。驚くべきことに、過去に開催された五輪で、見積もり内に実施された大会は1度もありません。同調査によれば、平均的に大会開催費用は招致段階の試算の1.56倍に拡大し、47%の大会では開催費用が見積もりの2倍以上に膨らんでいます。

 ちなみに、2020年の東京五輪の開催費用の見積もり額は、2013年1月の立候補ファイル時点では7340億円でしたが、その後、東京都の都政改革本部の調査チームにより「逐次的に開催費用が改定され、とめどなく費用が増える懸念がある」との指摘を受けるほど雪だるま式に膨らんでいきます。最大で3兆円まで膨らみましたが、その後IOCからの削減要求を受けて2016年12月時点で組織委員会が1.6~1.8兆円の試算を公表しています。

東京五輪開催費用の推移

出所:都政改革本部調査チーム調査報告書や各種報道から作成


 五輪は例外なく開催費用が高額化し見積もり超過するというリサーチ結果から、オックスフォード大学の調査チームも「五輪の開催を予定している都市や国は、世の中で最も高額で財務リスクの高い大規模プロジェクトを行おうとしているという認識を持つべき」と警鐘を鳴らしています。このように五輪開催のリスクが可視化されてきたこともあり、近年五輪開催に立候補する都市の数は減少傾向にあります。

夏季五輪の立候補都市数の推移

出所:Wikipediaなどから作成

 立候補都市の相次ぐ撤退から、2024年の夏季大会での最終立候補都市として残ったパリとロサンゼルスがそれぞれ24年と28年の開催権を無競争で分配される異例の事態になったのは記憶に新しいところです。巨額の開催費用を負担するのは経済合理的でないと考える国や都市が増えていることから、欧州・米州・アジア・アフリカなど大陸別に競技を分けて五輪を開催する「分散開催」や、常に同じ場所(例えば、五輪発祥の地ギリシャ)で開催する「常設開催」などのアイデアも出てきています。もしかすると、2028年のロス五輪が一国単独開催の最後の五輪になるかもしれません。

IOCや東京五輪のレガシー創出に向けた指針

 IOCが「レガシー」という言葉を使うようになったのは、2002年からのことです。この時初めて、五輪憲章に「オリンピックの開催都市ならびに開催国にポジティブなレガシーを残すことを推進する」(To promote a positive legacy from the Olympic Games to the host cities and host countries)との文言が追加されました(第1章「オリンピック・ムーブメントとその活動」第2項「IOC の使命と役割」)。2013年には「オリンピック・レガシー冊子」(Olympic Legacy Booklet)を発表し、その中で5つの指針が示されています。

オリンピック・レガシー

レガシーの種類レガシーの例
スポーツレガシー (Sporting Legacy)・競技施設(Sporting venues)
・スポーツ振興(A boost to sport)
社会レガシー (Social Legacies)・世界的な注目(A place in the world)
・卓越性、友好と敬意(Excellence, Friendship and respect)
・包括と協力(Inclusion and Cooperation)
環境レガシー (Environmental Legacies)・都市の再開発(Urban revitalization)
・新エネルギーの活用(New energy sources)
都市レガシー (Urban Legacies)・新たな景観(A new look)
・交通インフラ(On the move)
経済レガシー(Economic Legacies)・経済成長(Increased Economic Activity)

出所:Olympic Legacy Booklet


 東京五輪の組織委員会もこれに倣い2016年7月に「アクション&レガシープラン2016」を策定し、「スポーツ・健康」「街づくり・持続可能性」「文化・教育」「経済・テクノロジー」「復興・オールジャパン・世界への発信」の5本柱でのレガシー創出を進めているようです。

東京五輪におけるレガシー創出に向けた取り組み

出所:https://tokyo2020.org/jp/games/legacy/

 前述のように、東京五輪の開催費用は1兆8000億円程度(2016年12月時点)と試算されていますが、これは夏季大会として過去最高額だった2012年ロンドン五輪の150億ドル(1兆6500億円)を超える規模です。これだけ多額の税金を投入するわけですから、実際にどの程度意味あるレガシー創出につながったのか(つながらなかったのか)を定量的に測定し、巨額の開催費用に見合ったレガシーが創出されたのかどうか検証することが望ましいと言えるでしょう。


露出効果は本質的な付加価値ではない

 今年4月、スポンサーシップに特化した米リサーチ会社IEGが毎年開催するカンファレンス「IEG 2018」に参加して非常に興味深い取り組みを知りました。IEGを創業したLesa Ukman女史(同社を2006年にWPPに売却し、現在はLesa Ukman Partnerships代表)による、スポーツが生み出した社会資本を定量的に評価する「ProSocial Valuation」(PSV)という手法です。

 「スポーツの生み出す本質的で持続的な価値を数値として可視化する」という同氏の問題意識はIEG創業時から一貫しています。特に「広がる“ソーシャルスポンサーシップ”の可能性」でも解説したように、スポーツがより社会的な役割を期待されるようになった昨今、スポーツが生み出す有形無形の社会資本に注目し、その可視化のために考案したのがPSVというアプローチだったそうです。

 スポンサーシップの価値として、真っ先に挙げられるのは露出効果でしょう。社名やロゴがスポーツ中継などを通じてメディアで露出した総量を金額換算するものですが、こうした露出効果の算出はあくまで広告媒体としての価値であって、スポーツがスポンサー企業に提供する最終的な付加価値ではありません。

 私も20年近く前からIEGのカンファレンスに出席したりレポートに目を通したりしていますが、同社は米国でもかなり早い段階から露出以外のスポンサーシップ効果を生み出すためのアクティベーションやその投資対効果測定の必要性を提唱していました。そのIEGを創業したLesaさんが最終的に行きついたのが、スポーツが生み出す持続的な価値としての「社会資本」でした。五輪的に言えば「レガシー」ということになるでしょう。

開催費用の8.62倍の社会資本創出に成功したHWC

 PSVの手法を、実例を挙げて紹介しましょう。

 皆さんは「ホームレス・ワールドカップ」(HWC)をご存知でしょうか? 2003年から毎年開催されるホームレスによるサッカーの世界大会で、NPO法人のホームレス・ワールドカップ基金が主催しています。4選手で1チームを組織するルールで(控えは4選手までで交代は自由)、2017年大会はノルウェーのオスロで開催され、男女合わせて50カ国以上から500名以上の選手が参加しました。

 LesaさんはPSVを用いて、英グラスゴーで開催された2016年大会が生み出した社会資本を「ProSocial Value」(プラスの社会的価値)として算出しています。その算出のステップは次の通りです。順を追って説明しましょう。

PSVの測定プロセス

出所:www.prosocialvaluation.com
ステップ①「投入」(Input)として、そのイベントやスポンサーシップが生み出す社会資本(解決される問題点)の種類を列挙します。ここは決まった公式(フォーミュラ)のない領域ですが、HWCでは「経済資本」(Economic)、「教育資本」(Educational)、「情操資本」(Emotional)、「市民資本」(Civic)、「幸福資本」(Wellness)の5つが生み出された社会資本として整理されています
ステップ②「算出」(Output)として、ステップ①で列挙された社会資本の中から、数値換算可能な「標準的価値」(Normative Value)を洗い出します。HWCでは、「削減された仮設住宅コスト」、「職を得たことで生まれた所得・税収・貯金」、「ボランティア訓練で施された能力開発」、「新たなステークホルダー(提唱者・寄付者・顧客)の獲得」、「ホームレスへの注目度の向上」の5つを挙げています。いわば、有形社会資本の列挙です
ステップ③「成果」(Outcome)として、ステップ②で挙げられた標準的価値を数値換算します。例えば、「削減された仮設住宅コスト」であれば、「大会後、参加選手の82%が脱ホームレスを実現した」という事実を踏まえ、その削減コストを701万4273ドルと算出しています。この総額が、HWCが生み出した有形社会資本の総額ということになります
ステップ④「速度」(Velocity)として、HWCがもつ影響力を大会が訴求する地域の人口やソーシャルメディアのリーチ、ソフト力などから算出します
ステップ⑤「無形物」(Intangible)として、ステップ①~③では捕捉できない無形社会資本を測定します。具体的には、世界40カ国のパフォーマンスの優れたNPO組織の活動を分析し、そこに共通する要素として抽出された「大胆さ」(Audacity)、「つながり」(Connectivity)、「能力」(Capacity)、「想像力」(Ingenuity)、「忍耐力」(Tenacity)、「多様性」(Diversity)の6つのドライバーにおける無形社会資本を数値化します。具体的には、世界の証券取引所にて取引される上場企業のバランスシートにおける無形資産の平均比率を分析し、前述の6つのドライバーをスコア化した上で、ステップ④で算出した「速度」(Velocity)を加味してPSV独自のアルゴリズムを用いて数値化しているようです
ステップ⑥ステップ③で算出された「有形社会資本」の総額とステップ⑤で算出された「無形社会資本」の総和を合算し、最終的なHWCの「ProSocial Value」(プラスの社会的価値)を算出します。ここでは、前者が1027万1965ドル、後者が265万660ドルであることから、ProSocial Valueは1292万2625ドルとなります。HWCの開催費用が150万ドルであったことから、1ドルの投資で8.62ドル相当の社会資本を創出した計算になります

ケーススタディ:ホームレス・ワールドカップが生み出した社会資本

出所:www.prosocialvaluation.com

 東京五輪でも「レガシー」の重要性が語られており、東京都も五輪開催による経済波及効果(生産誘発額)が約30兆円に上るとの試算を公表していますが、うち27兆円は「レガシー効果」とされています。しかし、どの国の政治家や官僚にもこうした経済効果を過大評価する“自画自賛傾向”があるのは否めない一方、私の知る限り、スポーツ経済学の世界ではスポーツ施設やスポーツイベントが生み出す経済効果はほとんどないというのが常識になっています。

 今回のコラムでご紹介したように、米国ではスポーツの生み出す本質的で持続的な価値として、その社会資本を測定する試みも登場してきました。是非、東京五輪も単なるレガシーを羅列した想定効果の算出で終わらせるのではなく、大会開催後に実際に生み出されたレガシーを数値換算してその投資対効果を可視化して欲しいと思います。

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