1. コラム

市場効率性と社会道徳の間で揺れるチケット転売

このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです

 前回のコラムでは、米国スポーツ界でチケット再販ビジネスが市民権を得、その市場が大きく拡大していく経緯を整理しました。現在、米国のチケット再販市場は、一次市場に引けを取らない存在感を示すようになってきており、消費者にとってごく当たり前の存在になっています。

 今回のコラムでは、米国の状況と比較しながら、日本のチケット再販市場の現状や懸念点などについて考えてみようと思います。

日米ともに違法ビジネスでない点は共通

 まず、日米のチケット再販ビジネスの相違を述べる前に、共通している点を挙げておきましょう。日米で共通しているのは、チケット再販行為自体を直接的に禁止する法律がない点です。後述するように、チケットの再販には倫理的な問題をはらむケースも出てくるのですが、明確な法律違反ではないという点は日米ともに同じです。

 米国では、チケット再販は州法による規制を受けます(連邦法にチケット再販行為を禁じる法律はなく、州により対応が異なる)。各州の規制を細かく見てみても、転売行為自体を無条件で禁止している州はほとんどありません。イベント会場から一定の距離が離れていること、州にライセンス登録すること、興行主から許可を得ていることなど条件付きで認めている州が大半です。

 ただし、不公平な再販行為を規制するという観点から、ソフトウェアを用いて短時間に大量のチケットを買い占めてしまう「BOTS」と呼ばれる行為は法律により禁止されています。例えば、2014年にマジソン・スクエア・ガーデンで開催されたU2のコンサートでは、約2万枚の前売りチケットのうち1万5000枚があっという間にBOTSに買い占められ、再販市場に流れるという事態が起こりました(1つのプログラムで1分間に1000枚くらいスピードでチケットが購入できる)。

 こうした人間の能力では太刀打ちできないコンピュータープログラムを用いた高速売買は、株式取引でも問題視されていますが、同じ手法がチケットの買い占めにも応用された形です。しかし、言い方を変えれば、人間を介したチケット購入であれば、それが営利目的の業者による行為であっても、州の規制をクリアしてさえいれば違法行為にはならないのが米国の現状です。

規制の難しいチケット再販ビジネス

 日本でもチケット再販行為自体を無条件で禁止する法律がないのは米国と同じです。

 日本では、チケットのダフ屋行為を一部取り締まることのできる法律が4つあると言われています。まず、各都道府県による迷惑防止条例です。基本的には、イベント会場の周辺など公共の場所での転売や営利目的の転売を禁止するものです。

 ただ、迷惑防止条例によるダフ屋行為禁止の本質的な目的は反社会勢力の資金源を断つことです。基本的にインターネットでの売買を想定したものでなく、また迷惑防止条例を持っていない都道府県もあり、その実効力は限定的です。

 迷惑防止条例がない都道府県では、物価統制令によりダフ屋行為が取り締まりの対象になるケースもあります。物価統制令では、「不当に高価」あるいは「暴利となる」価格での売買を禁じており、これをチケットのダフ屋行為に適用したケースも見られます。

 しかし、この法令自体が戦後直後の1946年にできた古い法律で、もともとは生活必需品を買い占めて高値で売りつける行為を規制するためのものでした。しかも、戦後の経済混乱期ならいざ知らず、資本主義経済が成熟しつつある現在の商行為に適用するのはいささか無理があります。「不当に高価」「暴利」というのも、需給バランスで価格が決まる今日の自由経済ではあいまいな基準です。

 また、古物営業法の取り締まり対象になる可能性もあります。この法律は、盗品等の売買を防ぐため、古物営業を営む者に免許取得を義務付けるものです。古物営業許可を取得せずに大量に何度もチケットを高額転売すれば、この法律の違反になる可能性があります。

 さらに、特定商取引法により規制を受ける余地もあります。インターネットによるチケット転売事業は、一定条件を満たすと同法が定める「通信販売」に該当する可能性があり、この場合住所・氏名等を表示する義務を負うことになります。ただし、取引自体を禁止する法律ではありません。

 このように、法令の本質は反社会勢力の資金源になる行為を抑止したり、盗品の売買といった社会悪をなくしたりすることが目的ですが、純粋な経済活動として営利目的でチケット再販が行われた場合、これを法的に禁止するのはなかなか難しい状況です。

日本のチケット再販市場は米国の僅か6%

 ここで一度、日本のスポーツ界におけるチケット再販に関する動きを整理しておきます。

 米国同様、日本でも古くはチケットの転売はダフ屋やブローカーによって行われていました。インターネット登場後は、ヤフオク!などのネットオークションサイトにチケットが出品されるケースも増えてきました。

 状況が少し変化してきたのは2011年のことでした。ライブやスポーツイベントなどのチケット転売に特化したチケットストリート社が設立されました。同社は米国のオークション最大手イーベイ(スタブ・ハブの親会社)と資本業務提携を行い、グリーベンチャーズからの出資金を合わせて合計3億円を調達しています。さらに2013年にはチケット売買サイト、チケットキャンプがサービスを開始します(同サイトは2015年3月に株式会社ミクシィにより子会社化)。

 しかし、こうした再販市場を支えるインフラが整備されつつあるものの、米国ほどの規模には達していません。米国のチケット販売市場(2013年)は一次市場(興行主が直接販売する市場)が約170億ドル(1兆7000億円)、再販市場が約50億ドル(5000億円)の規模となっていますが、日本ではまだそれぞれ約6000億円、300億円の大きさに過ぎないと言われています。米国の再販市場が一次市場の約30%なのに対し、日本ではまだ5%に過ぎず、日本の再販市場の大きさは米国のわずか6%です。

 私の知る限り、まだ日本のスポーツ組織で再販業者と公式パートナーシップ契約を結んだところはほとんどありません。2014年にNBL(日本バスケットボールリーグ。今年からbjリーグと統合し、Bリーグとなる)がチケットストリート社と結んだ契約くらいでしょうか。

 前回のコラムで、米国スポーツ界で再販市場が拡大していった経緯を「静観」「協働」「内製化」の3つのフェーズに分けて解説しました。日本のスポーツ界が必ずしも同じプロセスを歩むとは限りませんが、現状を無理やりこの3つのフェーズに当てはめて考えると、今はまだ「静観」フェーズと言えるでしょう。

スポーツの外側で始まった変化の兆し

 日本でのチケット再販市場に関する動きは、スポーツの外側で起こりました。

 2015年10月、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)が転売されたチケットでの入場を禁止すると発表しました。同社は、転売目的で購入された各種チケットの総額が約10億円にのぼるとし、買いたいチケットが買えない、あるいは正規価格より不当に高い価格での購入を余儀なくされるといった不利益からゲストを守るとその目的を説明しています。本家ハリウッドのユニバーサル・スタジオでは、こうした転売チケットの入場禁止措置を行っている様子はなく、USJの対応は日本独自の踏み込んだ内容と言えそうです。

 さらに、今年8月には日本音楽制作者連盟、日本音楽事業者協会などの音楽業界団体が中心となって、高額転売に反対する共同声明を出しました。声明には116組のアーティストや24の音楽イベントなども賛意を示しています。

 商品の反復性の高い(同じ顧客層をターゲットに同じ興行主が同じ場所で同じ商品を売る)スポーツ業界では再販市場が形成されやすいため、これとビジネスモデルの異なるテーマパークや音楽業界の動きをもって日本のスポーツ界の再販市場への動きを一概に類推することはできませんが、日本のエンタメ業界は現時点では再販市場に対して否定的なスタンスを取り始めているようです。

転売可否を決める要因とは?

 ここで、話を整理しやすくするために、以下のマトリクスを用いて話を進めてみます。チケット転売をその目的と規模から簡単に整理したものです。転売目的としては、多く買い過ぎた、或いは行けなくなったチケットを「処分」したい場合と、純粋に高額転売を目的とした「営利」の2つに大別できるでしょう。規模については、個人による小規模のものから、法人による大規模のものに分けられます。

 米国の場合、州法の規制を順守している、BOTSによる不正なチケット取得ではないなどの条件付きにはなりますが、基本的にこのA~Dの4領域全てでチケット再販行為が認められています。これに対して、前述のUFJの対応はこの真逆で、4つの領域全てで再販を認めない(再販チケットでの入場を禁止する)というものです。

 日米でこのような大きな違いが生じた社会的背景として、まず文化的差異や訴訟コストの違いなどが挙げられると思います。戦後の高度経済成長での製造業による成功体験がまだ根強く残っている日本では、サービス業が産業の中心になっている米国に比べ「汗をかかずに金儲けする」「他人のふんどしで相撲を取る」ことに対する嫌悪感が相対的に強いように感じます。また、訴訟大国である米国では、興行主がチケット再販を禁止した場合、それにより不利益を受ける顧客や再販業者などから訴訟が起こされる可能性が高く、そのコストを考えると思い切った措置に踏み切れないという現実もあるでしょう。

 また、チケット購入者に対して消費者保護の観点から救済手段を設けているかどうかも再販を認めるかどうかのスタンスを決める際の大きな要因です。米スポーツ界は、チケット購入者に対してこうした救済策をほとんど設けていません。この点は日本のスポーツ業界の関係者と話をするといつも驚かれるのですが、例えば、米国では試合が雨天中止になっても払い戻しがありません。

 試合開催日時を決める(変更する)権利は興行主に認められており、物理的に試合自体が消滅しない限り、雨天順延などでは払い戻しが行われません(再試合を観に行けるという整理になる)。このように、興行主に広範な事業権を認める代わりに、消費者に再販や譲渡を認めて救済手段を与えることでバランスを取っていると考えることが可能です。

 救済手段の有無という観点からUSJの取り組みを見ると、USJはチケットの払い戻しは認めていないものの、日付変更はできるようになっています(急用などで行けなくなっても、別の日に行ける)。こうした救済手段を設けているため、チケットの再販自体が必ずしも違法行為とならないわが国で、再販チケットによる入場禁止という思い切った措置に踏み切れたのではないかと考えます。

独特の商慣行が再販の温床になる音楽業界

 同じ視点から音楽業界の対応を見てみましょう。

 高額転売に反対する声明文を読む限り、音楽業界は営利目的でのチケット転売に反対しているようで、領域としては先のマトリクスでBとDのエリアということになるでしょう。反対の趣旨としてはUSJと似ていて、本当にコンサートに行きたいファンが買えない、もしくは不当に高い値段でのチケット購入を強いられるという不利益を防ぎたいのだと考えられます。

 音楽業界で難しいのは、売り物(=ライブやコンサート)が必ずしもビジネスの論理(=高く売れればそれでよい)で割り切れるものではなく、アート作品としての性格も併せ持っているところです。「ファンと一緒にライブという最高の作品を作りたい」というアーティストの思いから、場合によっては全席同一価格でチケットを販売するというケースもあるようです。しかし、こうした慣行がプライシングの硬直性を生み、再販の温床になってしまっています。

 ところで、USJが転売チケットでの入場禁止という実力行使に踏み切ったのに比べると、音楽業界は消費者のモラルに訴えるだけに留まっており、いささか中途半端な印象を受けます。これは私の憶測ですが、音楽業界が転売チケットの排除に踏み切れないのは、慣習的にチケットの変更や払い戻しに応じていないからではないでしょうか。

 販売規約に定められているとはいえ、一方で転売を禁止しながら、もう一方で救済手段も講じないのは、消費者保護の観点からさすがにバランスが悪いと言わざるを得ないでしょう。これを無理強いすれば、消費者の利便性を犠牲にしてライツホルダーの都合を一方的に押し付けている形に見えてしまいます。転売を禁止するなら払い戻しや変更、譲渡の許可といった救済措置を講じ、救済措置を設けないなら転売は解禁・緩和すべきでしょう。これが大原則だと思います。

マーケット至上主義の限界との戦い

 転売を解禁する場合、問題になるのが業者による営利目的の転売行為(Dの領域)をどう考えるかです。法的に問題がない場合でも、倫理的な問題をはらんでいるケースがあります。転売業者が介在することでチケットの価格が高騰してしまえば、経済力のない買い手がチケットを確保するのは難しくなります。

 ただ、多民族国家である“自由の国”アメリカの場合、多種多様な倫理観が存在するため、チケット再販についても興行主の論理だけを盾に消費者のモラルに訴えかけるアプローチはあまり効果的ではありません(客の足元を見たあこぎな商売と思う人もいる反面、商売上手と評価する人も少なくない)。違法行為でない以上、ライツホルダーも黙認せざるを得ないという状況です。

 米国でも、マーケット至上主義に対する批判がないわけではありません。この分野の代表的な論客は、「それをお金で買いますか ~市場主義の限界」などで知られるハーバード大学のマイケル・サンデル教授です。同教授は、本人の代わりにチャリティーコンサートのチケットを有償で確保する「行列屋」や、大人気のヨセミテ国立公園のキャンプ場の予約を転売したり、ローマ教皇のミサのチケットを高額転売したりするダフ屋の存在など、物議を醸すサービスの実例を挙げながら、近年マーケット至上主義が多くの人の日常生活にも浸透するようになってきていることに警鐘を鳴らしています。

 マーケットは経済合理的なメカニズムは提供しますが、社会道徳や業界の“古き良き慣習”を評価・尊重するものではありません。チケット再販のようなマーケット至上主義のサービスが求めるのはその市場の効率性だけで、需給バランスが拮抗するポイントまでこの強力な要求は続き、そこに買い手がいる限りダフ屋行為はなくなりません。

 私はチケット再販が当たり前になっている米国に長く生活しており、物議を醸すサービスも含め新陳代謝が業界を革新していく米国のダイナミズムが結構好きですが、これにより失われていく規範や常識も確かにあるように思います。

 自由経済を原則とする資本主義社会に生きる以上、非効率な市場や業界は常に新しいビジネスやサービスの挑戦を受け続けることになります。転売を認めるにしても禁ずるにしても、経済合理性と相いれない社会道徳や業界特有の慣習を守ろうと思うなら、消費者との合意を取りながら自衛するしか道はないのかもしれません。ただし、行き過ぎた不道徳な市場形成を抑止するという自衛のための建前が、旧態依然とした業界の既得権を守る口実として使われるのであれば、それは消費者を欺くことになり、本末転倒です。

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