このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです
米国ではトランプ政権が誕生して1カ月が経ちました。政治経験のない大統領ということで就任以来、既存の枠組みにとらわれない、良く言えば破天荒な、悪く言えば無茶苦茶な政治手腕を発揮しています。
私が仕事の拠点を置くニューヨーク市マンハッタンはリベラルの牙城です。下馬評を覆して「トランプが勝利するかもしれない」というまさかの開票結果が流れ出した11月8日の夜は、街中がまるでお通夜のような雰囲気でした。これは、祝福のため自動車のクラクションが鳴り響いた、2008年のオバマ大統領誕生の時とは対照的でした。
私は米国に17年住んでいますが、ここまで米国社会が不安に満ち、先が見えなくなったのは初めてのことです。一住民として言いたいことは色々ありますが、それは私の専門分野ではないのでここでは置いておくことにします。今回のコラムでは、トランプ政権の誕生が米国スポーツ界に与える影響について整理してみようと思います。
隣国へのMLB拡張に冷や水
トランプ政権は製造業の生産拠点を米国内に取り戻すことによって雇用を生み出す方針を掲げ、メキシコで工場建設計画を進めていたフォード・モーターやトヨタ自動車がトランプ氏の“ツイッター砲”のやり玉に挙げられたのはご存知の通りです。こうした産業保護政策の影響を最も大きく受けるのは、実は米メジャーリーグ(MLB)かもしれません。
米国プロスポーツは国内市場の成熟化に伴い、海外市場への進出を積極的に推進しているところですが、従来まで海外ではテレビ放映権やインターネット配信、広告など権利ビジネスが中心でした。要は、製品である試合は米国内で“製造”し、国外ではその映像配信ビジネスで儲けていたわけです。
しかし、近年、チーム数を増やす(エクスパンション)ため、海外にチームを設立しようとする動きが活発化してきています。球団を設立すれば、フランチャイズ都市を中心にファンが生まれ、より強固なビジネス基盤を構築できるためです。そして、海外に球団を設立しようとする急先鋒がMLBです。
MLBは近年、米国に隣接するカナダ(モントリオール)とメキシコ(メキシコシティ)に新たに球団を設立する計画を進めていました。これは見方を変えれば、製品(試合)の製造拠点を海外にも作るという話です。しかし、トヨタのように「メキシコに球団を作るくらいなら米国内に作って雇用を増やせ」と批判を受けるかもしれません。
特に、トランプ大統領は選挙中からメキシコ国境に壁を作ることを公言しており、実際に大統領就任後、いち早く大統領令を出して壁建設に着手しようとしています。米国内の不法移民排斥の動きも相まって、今や米国とメキシコの関係は悪化の一途をたどっています。
既にメキシコではコカ・コーラやマクドナルド、スターバックス、ウォルマート、フォードなど代表的な米国企業の製品の不買運動も一部で起こっており、このような中でのメキシコへの新球団設立は地元住民からの反発を招く恐れもあります。選手の安全を確保するセキュリティーコストも跳ね上がってしまうかもしれません。こうした不安定な情勢の中では、選手会も簡単には首を縦に振らないでしょうから、MLBはより慎重な対応を練らざるを得なくなってしまいました。
2024年のロス五輪招致にも暗雲
MLBに次いでトランプ政権誕生のとばっちりを受けるのではないかと言われているのが、2024年の夏季オリンピック招致に立候補しているロサンゼルスです。現在、ロサンゼルスの他、パリも招致に手を挙げており、今年9月13日にペルーのリマで開催される第130回IOC総会で開催都市が決定します。(注:ハンガリーのブダペストは2月22日に招致活動からの撤退を表明)
当初、テロの不安が残るパリや、経済が停滞しているブダペストから一歩抜け出して、ロサンゼルスでの開催が有力視されていました。ロサンゼルスと言えば1984年の五輪開催により、それまで「赤字で国を亡ぼす」と言われたオリンピックを黒字化し、米国でスポーツの産業化のきっかけを作った都市です。その40周年となる2024年にオリンピックを再び招致したいロサンゼルスでしたが、トランプ政権の誕生によりこの思惑に思わぬ暗雲が立ち込めています。
トランプ氏は選挙戦の最中から宗教差別や女性蔑視とも受け取れる発言・行動を繰り返しています。大統領就任後も、イスラム圏7カ国からの入国を制限する大統領令を出し、空港が大混乱に陥ったのは記憶に新しいところです。ご存知のように、この大統領令は憲法違反の疑いがあるとしてシアトルの連邦地裁により差し止められ(ホワイトハウスは控訴)、控訴審も第一審の判断を支持しています。
これまでトランプ氏が選挙戦や大統領就任後の政策を通じて社会に発信してきたメッセージは、「普遍的で根本的な倫理規範の尊重」「友情・連帯・フェアプレーの精神」「いかなる種類の差別の禁止」などを憲章でうたうオリンピックの根本原則とは明らかに相反するものです。2024年のオリンピック開催までトランプ政権が存続するとは思えませんが、今年9月のIOC総会への悪影響は避けられそうにありません。
オリンピック開催都市は百名を超えるIOC委員の投票によって決まりますが、イスラム圏や中南米諸国の委員や女性委員からの票を失えば、思わぬ苦戦を強いられるかもしれません。
スポーツ賭博は合法化へ舵を切る?
ここまで、トランプ政権のネガティブな影響の話が中心になってしまいましたので、逆にスポーツ界の活性化につながる可能性がある話をしましょう。
以前「米国でスポーツ賭博が合法化される?」でも解説しましたが、米国ではスポーツ賭博は連邦法「1992年プロ・アマスポーツ保護法」(Professional and Amateur Sports Protection Act of 1992、通称「PASPA」)によりネバダ州、モンタナ州、デラウエア州、オレゴン州の4州を除き違法とされています。しかし、近年は州レベルで財政難を打開する突破口にすべく、スポーツ賭博の合法化に舵を切る動きが出てきています。
その代表的な州がニュージャージー州です。同州は2012年にスポーツ賭博合法化法案を可決したのですが、当時は4大メジャースポーツと大学スポーツ(NCAA)の反対にあって頓挫していました。しかし、近年プロスポーツ組織もスポーツ賭博を容認する方向にスタンスを変えつつあり、米国におけるスポーツ賭博を巡る状況には大きな変化が起こりつつあります。
例えば、MLBや米プロバスケットボール協会(NBA)のコミッショナーはスポーツ賭博を容認する方向で検討を進めていることを公言しています。米プロアイスホッケーリーグ(NHL)は今年から、ギャンブルのメッカであるラスベガスに新球団を設立します。米プロフットボールリーグ(NFL)に所属するオークランド・レイダーズも今年の1月、ラスベガスへの移転希望を正式に申請しました。従来まで、米メジャースポーツリーグは敗退行為を招く恐れがあるとして、ラスベガスへの球団設立を避けるスタンスを長きに渡り堅持してきましたので、この動きは革新的なことです。
実は、米国におけるスポーツ賭博を巡る状況はマリファナ(大麻)合法化の動きに似ています。マリファナも、連邦法では違法とされていますが、州レベルでは医療用や娯楽用の使用を認める州が増えてきています(現在、8つの州がマリファナ使用を全面合法化しており、28の州とワシントンDCが医療用使用のみ合法化している)。つまり、連邦と州でダブルスタンダードとなっている中で、連邦政府が州の動きを事実上黙認しているのです。
スポーツ賭博も、今後連邦政府(司法長官)がどのようなスタンスを取るかにより、その行く末が大きく左右されることになります。違法状態を黙認し続ければスポーツ賭博合法化に向かう州が増えるでしょうし、逆に取り締まりに走るのであれば合法化の流れは停滞するでしょう。
司法長官の人事権を握っているのは言うまでもなく大統領です。トランプ氏と言えば、カジノが集まるニュージャージー州のアトランティックシティに自身のホテルを持っていたこともあって、以前からスポーツ賭博推進派として知られていました。トランプ氏自身、1980年代にはNFLの対抗リーグだったUSFLの球団オーナーだったこともあり、スポーツ組織経営者の立場や思考も良く分かっているはずです。
もしトランプ氏が国内産業振興の柱の一つにスポーツ賭博を据えるようなことがあれば、米国におけるスポーツとギャンブルの関係は劇的に変わるかもしれません。
日本人留学生の米スポーツ界への就職は困難に?
最後に、これは直接的に米スポーツ界の組織経営に影響を与える話ではありませんが、日本人留学生には死活問題となり得る動きが出てきていますので、それに触れておきます。
外国人労働者の雇用がアメリカ人の雇用環境を悪化させているという議論は以前からありました。以前「球団への就職は「夢のまた夢」」でも書いたように、オバマ政権でも雇用の保護主義政策が進められたのですが、トランプ政権は一層これを強化しており、不法移民の国外強制退去措置だけでなく、合法的な移民の雇用にもブレーキをかけようとしています。
特に今やり玉に挙がっているのは、専門知識・技能保持者に発給される「H1-B」と呼ばれる労働ビザです。H1-Bは米国に留学した外国人学生が卒業後に米国内で働く際に取得することでも知られるビザで、私も米国の大学院卒業後、このビザを取得して米国で仕事をする機会を得ました。
H1-B取得を取得した就業者を採用する企業には、米国人の雇用を圧迫しないため、「相場賃金」(米労働省が職業や経験、勤務地に応じて定めている賃金水準)を支払うことが求められます。良質優秀な外国人労働力を不当に安い賃金で採用できないようにして、米国人の雇用機会が失われるの防ぐのです。
こうしたなかで1月30日、「High-Skilled Integrity and Fairness Act of 2017」という法案が下院に提出されました。この法案は、H1-Bビザの法定最低賃金を一気に年収13万ドルに高めるなど、外国人の雇用に大きなハードルを設け、アメリカ人の雇用を優先させることを目的としています。
仮にこの法案が通過した場合、日本人を含む外国人が米国プロスポーツで働くことはほとんど不可能になるでしょう。平均賃金の低いスポーツ界では、正規雇用条件ですら相場賃金を下回るケースがあります。前職で余程華麗な実績がない限り、アメリカ人も含め大卒の人材はインターンでふるいにかけられた後、エントリーレベル(日本の新卒採用のイメージ)の営業職からキャリアをスタートさせるのが一般的です。
大卒(院卒)とはいえ、タダでも働きたいという人材が掃いて捨てるほどいるスポーツ界では、エントリーレベルの年収はメジャースポーツでもせいぜい2~3万ドル程度といったところでしょう。マイナー競技ならさらに低賃金になります。こうした労働環境が当たり前のスポーツ界で、H1-Bビザの最低年収が13万ドルに上げられた場合、外国人を雇用するスポーツ組織はほぼなくなるでしょう。
スポーツ先進国アメリカでスポーツビジネスを学び、本場のスポーツ組織で働くことを夢見る日本人学生や社会人から私も相談を受けることが少なくありません。しかし、この法案が通過すれば、残念ながらそうした“アメリカンドリーム”の入り口に立つことも許されずに門前払いされてしまうことになります。
この影響はスポーツビジネス留学に限った話ではありません。MBA取得のために米国留学を考え、卒業後米国企業での就労を考えている人は、初任給が13万ドルを超える企業に就職できるトップスクールでない限り、留学を考え直す必要があるかもしれません。
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