1. コラム

雪もなく柵だらけだったバンクーバー五輪

このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです

 2月28日を持ってバンクーバーオリンピックは閉幕し、17日間の熱い戦いに幕が下ろされました。今回のオリンピックには、冬季五輪史上最多となる82の国と地域から約2600名の選手が参加し、これまた史上最多となる86種目で競技が開催されました。日本からも94名の選手が参加して銀メダル3つ、銅メダル2つの合計5つのメダルを獲得しました。

 実は、私も2月23日から2泊3日という短期間でしたが、バンクーバーを訪問する機会がありました。今回のコラムでは、いつもとは趣向を変えて、あまり深く考えすぎずバンクーバー現地での様子や、米国やカナダでのオリンピックの報じられ方など、皆さんが日本からテレビや新聞などを通じて知るオリンピックとは別の視点からバンクーバー五輪を感じたままにレポートしてみたいと思います。

 なお、誤解なきよう予め断っておきますが、これは個人の目を通した部分的な感想であり、バンクーバーオリンピック全体を評価しようとするものではありません。

意外に活気のないダウンタウン

 バンクーバー国際空港に降り立つと、まず目を引いたのが入国審査のゲートに設置された巨大スクリーンでした。スクリーンでは、現在進行中の競技が生中継されています。これなら入国審査の列に並びながら時間をもてあますことなく過ごすことができます。審査を終えると、各バゲッジ・クレームにも小型モニターが設置されており、空港全体がパブリック・ビューイングの会場と化しているようで、これはなかなか良いアイデアだと思いました。これなら、文字通りカナダに入国した瞬間から否が応でもオリンピックを応援する気持ちが盛り上がります。空港からダウンタウンまでは電車で20分くらいと、交通の便はかなり良いと感じました。

 しかし、ホテルにチェックインした後にダウンタウンに出てみると、ちょっと肩すかしをくらった印象を受けます。

 まず、冬季オリンピックだというのに雪が全くありません。当日も雪ならぬ雨が降り続くというあいにくの天候の中、街中の人影もまばらで、「本当にこの街でオリンピックが開催されているのだろうか?」と不安を感じてしまうくらいでした。街中に設置されたパブリック・ビューイング会場では、アイスホッケーの試合がオンエアされていました。予選だったとはいえ、地元カナダが出ている試合にもかかわらず、人影もまばらでした(カナダ対ドイツ。結果は8-2でカナダの勝利)。

(写真:鈴木友也、以下同)

各競技施設の周りは、クラウド・コントロールのためなのか、あるいはアンブッシュ・マーケティング防止のためなのか、柵が張り巡らされており、チケットを持っていないと近づくことさえできないようになっています。柵は「バンクーバーオリンピック2010」と書かれた垂れ幕によりきれいにマスキングされているものの、これにより街の景観は壊れてしまい、何だかまだオリンピック準備中の時期に街を訪れてしまったのではないかと錯覚するくらいでした。

 ダウンタウンを2~3時間ほど歩き回った中で最も人が集まっていたのは、聖火台でした。しかし、ここも周囲を柵で覆われており、遠くから眺めることしかできません(写真を撮るとこの柵がフレームに入ってしまうので、雰囲気もイマイチです)。聖火台の横には展望台があって、ここからは障害物なく聖火台を眺めることができるのですが、そこには長蛇の列ができています。誤解を恐れずに言えば、この聖火台に象徴されるように「もっと近くでオリンピックを触れたいのに何かに邪魔されて触れられない」というもどかしさを感じ続けたバンクーバー滞在初日になりました。

 また、聖火台と並んで人が集まっていた数少ないアトラクションは、皮肉にも2014年の冬季オリンピック開催が決まっているソチ(ロシア)のパビリオンでした。関係者にその理由を尋ねたところ、ソチ五輪のマスコットは、ロシアで人気のテレビ番組のキャラクターをそのまま活用しているのだそうで、そのマスコットと写真を撮るためにみな、集まってくるのだそうです(例えるなら、「ドラえもん」とか「ピカチュウ」がそのまま東京オリンピックのキャラクターになったようなイメージ)。

国技”の逆転優勝で有終の美を飾ったカナダ

 オリンピック大会を視察するのは初めての経験だったので、過去のオリンピック体験と比較検討することはできないのですが、私が日々肌で触れている米国のプロスポーツと比較すると、少し異質な印象を受けました。

 長い歴史の中で地元に根付いているプロスポーツと、2週間と少しという短期間で都市が持ち回り開催する冬季オリンピックを比較すること自体無理な話なのかもしれませんが、ファンの息吹を通じて都市全体の鼓動を体感するような機会に出会うことはあまりありませんでした。

 カナダ人のスポーツ関係者から「もともとカナダ人は控えめな性格なので、米国人のようなナショナリズムを全面に押し出した応援はしない」とも聞かされ、なるほどと納得してしまいました。

 そんな中、私の滞在中に街が唯一盛り上がりを見せたのは、カナダのアイスホッケーチームが優勝候補の宿敵ロシアを7-3で下して勝利した試合後でした。この試合は「アイスホッケー王国」を自称するカナダが威信をかけて背水の陣で臨んだ試合だったのです。

 前出のカナダ人スポーツ関係者からは、「勝ったらお祭り騒ぎ、負けたら暴動が起こる。いずれにしても、ダウンタウンは大騒ぎね」と聞かされていました。それだけ、カナダでアイスホッケーの存在感は大きいようです。

 実際、カナダ代表チーム勝利のお陰で、ダウンタウンにはカナダ国旗を持った人が溢れ、通り過ぎる車はクラクションを鳴らすという、文字通りのお祭り騒ぎとなりました。カナダ人の喜び方は、米国人のように喜びを遠慮なく爆発させるというよりは、どこかで気恥ずかしさも同居しているような控えめなところがあり、日本人としては妙な親近感を覚えてしまいました。

 ただ、やはり地元チームが勝たないと盛り上がらないというのは、万国共通のようです。結局、カナダ代表チームはこの一戦で勢いづき、五輪最終日に米国代表チームを延長戦の末に3-2で破り、男子アイスホッケーで最多となる14個目の金メダルを手にして有終の美を飾りました。

“異変”があったNBCのオリンピック中継

 米国のスポーツ環境に慣れている自分としては、こうしたカナダの落ち着いた雰囲気というのは少し意外だったのですが、やはりオリンピックというのはそれぞれの国の国民性が顕著に表れるものだと実感しました。それはもちろんテレビ放送にも見受けられます。

 基本的にどの国もオリンピック中継では自国の選手を中心にオンエアしますから(特に予選では)、米国なら米国人、カナダではカナダ人選手を中心に、他国の有力選手を交えた放送構成が顕著となります。恐らく、これは日本でも同じでしょう。逆にオリンピック中継にナショナリズムが色濃く反映されるがゆえに、海外でオリンピックを見ていて面白いのは、本当に世界が注目している日本人選手が良く分かるということです。

 今回のオリンピックですと、男子フィギュアスケートの高橋選手や女子フィギュアの浅田選手は予選から金メダル候補として大きく注目されていました。それ以外ですと、女子モーグルの上村選手や、男子ハーフパイプの国母選手あたりは有力選手として予選の時からコメントされていました。

 逆に、米国とカナダのテレビ中継で異なっていると感じたのは、テレビ中継に占める競技中継の比率です。カナダは、競技中継の比率が高く、各競技を最初から最後まで丁寧にオンエアしていくという、“広さ”を追求した形を取っているようでした。それに対し、米国はNBCの看板スポーツキャスター、ボブ・コスタスを全面に出し、競技中継と併せてスタジオでコスタスのトークや選手とのインタビューを交えるという“深さ”を追った形になっていたように感じました。

 実は、米国でのバンクーバー五輪のテレビ放映権を持つNBCは、今回約2億ドル(180億円)の赤字になると言われています。NBCは2000年のシドニー五輪以来、10年以上にわたり米国でのオリンピック放映権を確保し続けていました。2008年の北京五輪では約1億ドル(90億円)の利益を上げるなど、順調に収益を伸ばしていましたが、その直後の“リーマンショック”に端を発する世界的不況による広告予算削減のあおりをモロに受けた格好になりました。

開催前からの大幅赤字予想が放送にも影響

 今回のオリンピックでは、開催前から大幅な赤字が予想されていたためかわかりませんが、NBCの五輪放送にちょっとした異変がありました。テレビ放送では「競技中継よりもコスタスのトークとCMが多すぎる」というクレームも少なくなかったようです。また、最終日の閉会式にて、まだ式の途中だというにも関わらず、午後10時半(米国東部標準時)になると「また1時間後に閉会式の様子をお伝えします」というコスタス氏のアナウンスとともに、突如として新ドラマ『結婚審判』(The Marriage Ref.)が開始されてしまいました。これにはさすがにあっけにとられました。

 実はNBCには「ハイジ・ボウル」(Heidi Bowl)という苦い教訓がありました。NBCは1968年11月17日のNFLニューヨーク・ジェッツ対オークランド・レイダース戦を、残り時間1分を残して映画「アルプスの少女ハイジ」を放送するために中継を終了してしまいました。しかし、試合は9秒で2つのタッチダウンを奪ったレイダースが奇跡の大逆転勝利をあげてしまいました。当然、NBCには視聴者から抗議が殺到し、これによりNFLは対戦チームの地元では試合を必ず最後までオンエアするというルールを作りました。

 競技放送ではなかったとはいえ、米国のテレビ放送局がイベントを最後まできちんと放送しないのは異例のことだと思いますが、赤字が分かり切っていたNBCとしては、「ハイジ・ボウル」の教訓を捨ててでも早く“損切り”して、新ドラマに賭けたいところだったのかもしれません。

 短いバンクーバー滞在やテレビ視聴による一面的な感想から今回のオリンピックの印象を敷衍してしまうのは良くないのかもしれませんが、個人的な印象としては、スポーツが都市の歴史や市民のアイデンティティと交わりながら社会文化の重層的な「ストック」として機能している米国スポーツに比べると、五輪大会は良くも悪くもオリンピック・ムーブメントのPRイベント的位置づけから「フロー」として機能しているように感じられました。バンクーバーを後にする時、夏の花火大会の会場を後にする時に感じるような“宴のあとの儚さ”を感じたのは、このためだったのかもしれません。

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