1. コラム

なぜハイチュウはレッドソックスをスポンサーするのか?(上)

このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです

 米国企業に比べると、日本企業はまだまだマーケティングツールとしてのスポーツの使い方に慣れていないという印象を私は持っています。スポーツが社会で果たす役割や影響力が日米で大きく違うことがその背景の1つです。日本企業の中では、スポーツをマーケティング活動に使おうと考えている会社はむしろ少数派かもしれません。

 以前『「東京五輪の成否を左右する「イシュー・ドリブン」の協賛活動 「メガイベント」が進化させるマーケティング手法(下)』でも書きましたが、米国で「スポーツ協賛契約」と言えば、協賛企業が抱える経営課題(イシュー)を解決するためのコンサルティング契約に近い形態がイメージされますが、日本ではまだPR媒体を買う宣伝・広告活動という意識が強いようです。

 ですから、スポーツビジネスの本場アメリカで本格的にスポーツ協賛に取り組んでいる日本企業は数えるほどしかありません。トヨタ自動車やパナソニックなどがその代表格でしょうか。

 そんな中、意外な商品が近年の米国スポーツビジネスシーンで存在感を発揮しています。森永製菓のチューイングキャンディー「ハイチュウ」です。ハイチュウは今年から上原浩治選手や田澤純一選手らが活躍するボストン・レッドソックスの公式スポンサーとなり、そのほかにも、NBAニューヨーク・ニックスの公式スポンサーにもなっています。

 今回のコラムでは、ハイチュウとレッドソックスとの協賛契約の内容や、それが従来的な日本企業のスポンサーシップとどのように違うのかなどについて書いてみようと思います。

“おやつ係”が結んだ縁

 ハイチュウとレッドソックスとの縁は意外なところから生まれたものでした。

 メジャーリーグでは、中継ぎ投手陣は試合開始から外野に設置されたブルペン(投球練習場)に行ったきり、試合終了まで戻ってこないのが通例です。しかし、ご存じのように野球の試合は3時間前後の長丁場になることが多く、試合の序盤に出番が少ない中継ぎ投手は、はっきり言ってそこで時間を持て余すことになります。

 そのため、多くの球団では気分転換や退屈しのぎのため、お菓子や飲み物、眠気覚ましの目薬などをリュックに詰めてブルペンに持っていくことが暗黙の決まり事になっています。大体、この“おやつ係”は若手選手が担当することになるのですが、レッドソックスでは2009年に入団した田澤選手がその役を担っていました。

 2009年のある日、田澤選手がハイチュウをリュックに詰めて持っていったところ、それが当時の守護神ジョナサン・パペルボン選手(現フィラデルフィア・フィリーズ)に痛く気に入られ、毎試合必ずハイチュウをストックしておくことを“厳命”されることになります。

 しかし、現地生産していないハイチュウは流通網が限られることもあり、田澤選手はニューヨークやシカゴなどの大都市に遠征に出た際に日系スーパーに立ち寄って買いだめしなければならないようになります。でも、田澤選手が遠征の度に買い物に出る事も大変ですから、球団を通して直接購入させてくれないかと森永アメリカに相談したところ、「そんなに喜んでいただいているのであれば」とサンプル提供が開始され、それが全ての始まりでした。

典型的な日本企業の“戦場”から離脱

 レッドソックスには上原選手や田澤選手ら日本人メジャーリーガーが所属することもあり、ハイチュウのスポンサー契約も、日本人選手への注目度を当てにしたものと思われる向きもあるかもしれません。しかし、実態は日本企業にありがちな露出による広告効果を目的としたものとは全く異なるものなのです。

 森永製菓は、2008年に米国内に販売会社を設立してハイチュウの販売を開始したのですが、現時点では台湾からの輸出で対応しており、流通網も一部日系スーパーやセブンイレブンなどのコンビニに限定されています。しかし、現在ノースカロライナ州に自社工場の設置を進めており、来年後半を目途に現地生産を開始する予定です。

 レッドソックスとのスポンサー契約は、来年からの現地生産開始を視野に、米国の保守本流である東海岸で販売をジャンプスタートさせるための布石なのです。そのため、単に認知度を高めるだけでなく、販売促進を強く意識したものになっています。

 普通の日本企業なら、「まずは球場内の看板を押さえて認知度を高め、次の展開は追って考えよう」となりそうです。しかし、森永製菓がレッドソックスとの協賛契約に求めたのは露出だけでなく、販売につながる“きっかけ作り”でした。

 以前のコラムで日米のスポーツ協賛の“戦場”の違いを図示しましたが、これに当てはめるなら、森永製菓の取り組みは当初から典型的な“日本の戦場”を離脱し、“米国の戦場”を視野に入れたものになっていました。

日米のスポーツ協賛の戦場の違い(イメージ)

出所:Trans Insight Corporation

ハイチュウが最初にやったこと

 森永製菓は、まず球団職員や選手をハイチュウに病みつきにすることを考えました。協賛契約の締結前から1万個以上もの大量の試供品を球団事務所に送付したのです。

 もともとアメリカではガムを日常的に噛んでいる人を多く見受けます。口寂しさにモノを噛む習慣のある球団職員に、ハイチュウはあっという間に受け入れられ、熱狂的なファンを獲得していきました。

 また、野球というスポーツもインターバルが多い競技特性から、プレー中にガムを噛んでいる選手も少なくありません。しかし、通常プロスポーツ選手は厳しいドーピング規定などもあるため、体に入れる食べ物には非常に神経を使います。球団職員に受け入れられたからといって、おいそれと選手に勧めるわけにもいかないのです。

 しかし、既に田澤選手経由でその味を知っていた選手たちは、試供品が届くと我先に争ってハイチュウを口にしたと言います。今では、ダグアウト裏(ベンチ)やクラブハウス(ロッカールーム)にもハイチュウが大量に入った箱が置かれ、さらに、選手はポケットにハイチュウを忍ばせ、試合中に口にしているほどです。

 協賛契約で成功するためには、その製品やサービスが選手から好かれることは鉄則です。競技成績の良し悪しで年俸が決まってしまう選手に、フィールド外のマーケティング活動に参加してもらうことは、実は思ったほど簡単ではありません。もちろん、協力的な選手もいますが、そうでない選手もいます。

 でも、選手皆から熱狂的に支持されていたハイチュウは、そのハードルを契約締結前にいとも簡単にクリアしてしまったわけです。今では、選手が試合後のインタビューで自主的にTシャツを着てくれたりするほどです。

認知と購買の溝を埋める

 選手に好かれるという関門を突破したハイチュウは、正式な協賛契約締結後、本格的なマーケティング活動を開始します。その特徴は、「商品認知から購買に至るまでの一貫したアクティベーション計画」と言うべきものでした。

 商品やサービスが「認知される」ことと「購買される」ことは全く別の話です。その間には、大きな溝が存在します。言い方を変えれば、球団の持つ有形・無形の資産を協賛権(スポンサーシップ・ライツ)という形で活用しながらアイデアを絞り、この溝を埋めるための解決策を捻り出すことが協賛契約の役割ということになるでしょう。

 では、実際のハイチュウの取り組みをご紹介しましょう。先にも活用した、消費者の購買決定プロセスをモデル化した古典的な「AIDMA」に沿って説明します(改めて説明する必要もないかもしれませんが、以下が「AIDMA」に応じた顧客の状態とコミュニケーション目標になります)。

参考:AIDMAに応じたコミュニケーション目標

<認知段階>

 まず、この段階ではハイチュウの存在を知ってもらうことが目的になります。ここは古典的なアプローチとなりますが、球場への看板掲出などで露出を確保し、製品の認知度を高めることになります。

<感情段階>

 この段階では、ハイチュウに対して「何だろう、あれは?」といった興味・関心を作り出し、「美味しそう」「食べてみたい」「買ってもいいかも」と感情を変化させて購入動機を作り出すことが目的になります。

 ここでは、選手に好かれていることが威力を発揮します。先ほど紹介した、ハイチュウTシャツを着ながらインタビューに応える選手などは、ファンからの興味・関心を喚起する好例と言えるかもしれません。食品摂取に気を遣う選手が実際に口にしているというバズも、「選手が食べている位なら、一度試してみるか」となるので、ニーズ喚起や購買動機の創出をサポートします。

 また、球場に足を運んだファンに試供品を配るのも効果的です。実際に口に運んでみて、「あ、これ意外に美味しいかも」と思ってもらえれば、購買へのハードルは一気に下がります。「レッドソックス程の有名球団の協賛なのだから、悪いものじゃないだろう」と、商品にお墨付きが与えられるのです。

 これを僕は勝手に「友達の友達」理論と呼んでいるのですが、知り合いからの紹介であれば、赤の他人でも何となく信頼できるような気になってしまうものです。そう、友達の友達は、皆友達なのですから。ビジネスパーソンでも、今まで取引のなかった会社や部署に営業する場合は、誰か信頼できる知人を介してターゲットにアプローチするはずです。

 ハイチュウにとって米国は新たな市場です。しかも、ボストンを中心としたニューイングランド地方は非常に保守的な地域として知られています。誤解を恐れずに例えれば、「一見さんお断り」の京都のような土地柄です。そこでレッドソックスの出番です。レッドソックスは、協賛契約を通じて「信頼できる紹介者」の役割を担い、顧客の購買への心理的抵抗感を解消するのです。

<行動段階>

 この段階では、文字通り商品を買ってもらうことが目的です。衝動買いが売り上げの8割程度を占めると言われるガムやキャンディー業界では、マインドシェアを高め、できる限り多くの流通網を確保し、可能な限り目につきやすい場所に商品を陳列しておくことが肝要となります。

 東海岸では新参者のハイチュウでも、レッドソックスの公式スポンサーだと言えば、流通網確保が進めやすくなります。実際にニューイングランドを中心に155店舗を展開する食料品チェーン「Shaws」での展開がレッドソックスとの提携を機に始まっています。また、球団ロゴや選手の写真を用いたポップなどを用意すれば、小売店も良い場所にディスプレーするでしょうし、顧客の目にも止まりやすくなります。「あ、これ、こないだ球場で配ってたやつだ」となれば、手に取る確率はぐっと高まるでしょう。

 レッドソックスとのパートナーシップには、ハイチュウの取引先をスイートボックスに招待しておもてなしするプログラムも含まれているようです。これにより、さらなる流通網の強化を図ることができます。また、レッドソックスには、既にCVSやCumberland Farmsといった小売店が公式スポンサーに名を連ねています。そうした協賛企業間の横のつながりを新規ビジネス獲得に生かすこともできるはずです。

日本スポーツ界に起こりつつある量的・質的変化

 2020年の東京オリンピック開催が決まってから、日本のスポーツビジネス界にも量的・質的変化が起こりつつあります。従来まで宣伝広告活動でスポーツなど使ったことがなかったような多くの企業が、自国開催ということでオリンピックへの投資をにらんだ動きを始めています。今までとは比べ物にならないくらい巨額のお金がスポーツ界に流れ込もうとしています。これが量的変化です。

 また、今のご時世、巨額のマネーをつぎ込んで露出だけ確保して企業の名前が売れれば御の字という時代ではありません。日本には、伝統的にタニマチ的な視点から協賛企業に名を連ねている企業も少なくなかったのですが、五輪景気を狙った新規参入により投資対効果が問われる流れが強まっています。これが質的変化です。

 これから東京オリンピック開催に向けて、企業はどのような意識でスポーツ組織に向き合ったらよいのでしょうか? 次回は、レッドソックスとハイチュウの協賛契約の仕掛け人である、同球団アジア戦略事業担当の吉村幹生さんにその辺りについてお話を伺う予定です。

コラムの最近記事

  1. ZOZO球団構想を球界改革の機会に

  2. 東京五輪を“レガシー詐欺”にしないために

  3. 米最高裁がスポーツ賭博を解禁

  4. 運動施設の命名権、米国より収益性が低い訳は?

  5. 米国で急拡大、ユーススポーツビジネスの不安

関連記事

PAGE TOP