1. コラム

錦織フィーバーだけじゃない、USオープンの知られざる楽しみ方

このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです

 遅ればせながら、錦織圭選手のUSオープン決勝進出の快挙は凄かったですね。米国人の知人からも「ニショーオリー決勝進出おめでとう!」(まだ名前が全米的に知られていないため、正確に「ニシコリ」と発音できる米国人は少ない)などと言われました。同じ日本人としてとても誇らしい気分にさせてもらえました。

 決勝では惜しくも敗れてしまったものの、世界ランキング1位のジョコビッチ選手を破ってのアジア人初の4大大会決勝進出。そんな錦織選手の歴史的偉業に水を挟むつもりは全くありません。しかし、現地での空気感を知っている身としては、日本から伝わってくる画一的な報道や、それを鵜呑みにした反応を目にしていると、何とも言えない違和感を覚えずにはいられないのも正直なところです。

 日本の知人から、「今ニューヨークは錦織選手の話題で皆すごい盛り上がってるんでしょう?」「今米国では錦織選手の決勝進出の話題でもちきりなんですよね?」などとメールが来たりしたのですが、現地で感じる空気感とは何か少し違うのです。もちろん、一部在米日本人の間では大きな話題にはなっていましたが、誰もかれもが錦織選手の話題でフィーバーしているという状況ではないのです。

 この感覚は、昨年8月にヤンキースのイチロー選手が日米通算4000本安打を達成した時や、今年4月にマー君(田中将大選手)がヤンキース入りした時にも感じたものです。(両者については、他媒体でコラムを書いていますので、興味がある方はご覧下さい。「イチロー選手の4000本安打は米国でどう報じられたか?」「マー君の日米報道ギャップから、メディアの役割を考える」)

 その違和感とは、日本人が(日本で)盛り上がっているのと同じ方法・テンションで、現地も大いに盛り上がっている、という前提を意図的に共有(演出)しながら報道がなされている点です。しかし、現地の様子は報道とは違うケースも少なくありません。

 スポーツ報道にある程度のナショナリズムが反映されることは当然のことだと思います。やはり、自国民の活躍を見るのは嬉しいことです。しかし、そのナショナリズムも行き過ぎると、メディアを通してしか現地の様子を知る術がないファンには、スポーツの本当の姿が届かなくなってしまう恐れがあります。その点を私は少し危惧します。

 実際、イチロー選手の日米通算4000本安打は、米国では淡々と報じられていただけですし、マー君も、ヤンキース入団当時は何かを約束された特別な投手という位置づけでは全くありませんでした。今年のUSオープン男子シングルス決勝も、「本命不在のアンダードッグ対決」「アジア人初の決勝進出」ということで錦織選手にも大きな注目が集まっていましたが、猫も杓子も「ニシコリ」「ニシコリ」という訳ではありませんでした。

 報道している側にも、この点に気づいている人はいると思うのですが、どうも皆が盛り上がっている「空気」を壊すことが怖いのか、あるいは報道しても見られない(読まれない)と諦めているからなのか、多様性や対立軸のある報道が出て来にくい土壌があるように感じます。

 例えば、今年のUSオープンでは錦織選手を合わせて4人の日本人が決勝に進出しています。そして、錦織選手以外の3選手は全て優勝を手にして、各部門合わせて5冠を達成しています。こうした事実を知っている人がどれだけいるでしょうか?

 また、USオープンの会場に足を運んだことがある方なら分かると思いますが、テニスとは、野球やサッカーといった日本人に比較的馴染みのある観戦スポーツとは楽しみ方が全く異なるスポーツです。そもそもある特定の選手だけを応援して盛り上がることを想定したイベントではないのです。多分、こうした点も多くの人には知られていないUSオープンの魅力の1つなのではないでしょうか。

 今回のコラムでは、報道からは分からない米国でのテニスの楽しまれ方、USオープンの知られざる魅力を皆さんにご紹介しましょう。

USオープン入門

 まず、USオープンのことを詳しく知らない人も少なくないと思いますので、簡単に大会の概要をご説明しましょう。USオープンは、世界4大メジャーテニス選手権(いわゆる「グランドスラム」。USオープン以外には、ウィンブルドン、全仏オープン、全豪オープンがある)の1つで、4大大会の中でも観客動員数、賞金総額等において世界最大のテニス大会として知られています。

観客動員数の比較(2011年)

出所:トランスインサイト調べ

 約2週間の大会期間中、70万人以上のファンが世界中から会場を訪れます。単一イベントとしては、全米一の集客力を誇ります。

 また、今年の大会の賞金総額は4000万ドル(約40億円)を超え、男女シングルスの優勝賞金は共に300万ドル(約3億円)です。賞金面で男女平等が完全に実現しているスポーツという点もUSオープンの特筆すべき点でしょう。

大会賞金(2014年)

成績部門男女シングルス男女ダブルス混合ダブルス
優勝$3,000,000$520,000$150,000
準優勝$1,450,000$250,000$70,000
ベスト4$730,000$124,450$30,000
ベスト8$370,250$62,060$15,000
ベスト16$187,300$32,163$10,000
賞金総額(*1)$40,851,760

出所:USオープン公式HPより
*1:エキシビションマッチや車いすテニス等への賞金も含む

24の大会トーナメントで1日100マッチ以上を開催

 全米オープンのもう1つの特徴は、その試合数の多さです。大会は、上の表にもある「男女シングルス」「男女ダブルス」「混合ダブルス」の5部門以外にも、車いすテニスの部、ジュニアの部、大学招待の部などでそれぞれシングルス、ダブルスがあり、大会トーナメントだけで24部門、試合数にして約1700マッチが開催されます。

 この数の試合を約2週間で行うことになりますから、平均して1日100マッチ以上が開催される計算になります(実際は大会期間前半の試合数が比較的多く、後半に行くに従い減って行く)。そのため、USオープンの観戦形態はとてもユニークです。

 USオープンの会場となるUSTAナショナル・テニスセンターには、約2万2000人の観客を収容するメーンコートのアーサー・アッシュ・スタジアムや、約1万人を収容するルイ・アームストロング・スタジアム以外にも、大小合わせて17のテニスコートがあり(それ以外に6つの練習用コートもある)、複数の試合が同時並行で開催されます。有名な選手は大きな会場を使いますが、無名な選手は観客席もほとんどないような小さなコートで試合を行います。

 入場チケットも特徴的で、午前11時から夕方までの「デー・セッション」と午後7時から深夜までの「イブニング・セッション」の2種類しかありません。つまり、ファンは4~5時間の長時間滞在を前提に、会場内にのんびり滞留しながら思い思いに見たい試合のコートに出向くという観戦スタイルを取ることになるのです。

出所:USオープン公式HPより

 長時間滞在を想定していますから、ちょうど東京ドーム4個分ほどの広さの会場内には広々とした休憩スペースやフードコートがあちこちに用意されています。特に大会期間中の9月はまだニューヨークの日差しもきついため、直射日光を避けて木陰のベンチやレストランなどで涼を取るファンの姿も大勢見られます。

 また、後述するように、世界中から富裕層が集まるUSオープンでは、ビールよりもワインやシャンパン、カクテルなどが多く取り揃えられており、会場内でジャズバンドが生演奏を聞かせてくれたりもします。

つまり、USオープンは1試合をシートに座ってじっくり観戦するような野球やサッカーとは全く異なる観戦スタイルを前提に、リラックスした多様な楽しみ方を提供しているのです。

 ちなみに、今年は前述したように錦織選手以外にも「車いすテニス男子シングルス」と「車いすテニス男子ダブルス」で国枝慎吾選手が、「車いすテニス女子シングルス」と「車いすテニス女子ダブルス」で上地(かみじ)結衣選手が、「ジュニア男子ダブルス」で中川直樹選手が決勝に進出しており、いずれも優勝を手にしています。実は、今大会は日本人3選手で5冠を達成しているのです。

 私も毎年USオープンは必ず観戦するのですが、今年は大会14日目の男子ダブルスと女子シングルス決勝を観に行く機会がありました(いずれもアーサー・アッシュで試合開催)。この日は、ちょうどこの2試合の裏で、隣にある11番コートにて女子車いすテニスシングルスと男子車いすテニスシングルスの決勝が開催されていたのですが(いずれも国枝選手、上地選手が優勝)、ファンは2つのコートを行ったり来たり、あるいはアーサー・アッシュから遠巻きに11番コートを眺めるなどして応援していました。

 特定の選手に入れ込んで応援する熱烈なファンももちろん存在しますが、多くのファンはもっと肩の力を抜いてリラックスしながら自分好みのスタイルで観戦を楽しんでいるのです。

富裕層目当ての企業が数々のブースを出展

 USオープンと他のスポーツのもう1つ大きな違いは、その観客層です。Tennis Championship Magazine誌の調査によると、来場者の89%以上は大卒以上の学歴があり、その平均世帯収入は20万ドル(約2000万円)を超えます。旺盛な購買意欲を持ち、都会的なライフスタイルを好むことがUSオープンのファンの特徴とされています。

 誤解を恐れずに一言で言えば、USオープンとは世界中からお金持ちが集まってくるイベントなのです。当然、ここには富裕層をターゲットにした企業も大会公式スポンサーという形で集まってきます。金融機関やクレジットカード、高級腕時計、高級車、航空会社などです。こうした会社が会場内にブースを設置し、巧妙なマーケティング活動を展開します。

 例えば、メルセデス・ベンツは会場内にショールームを設置しており、新車に触れることができるようになっています。その横では、優勝トロフィーと記念写真が撮れるコーナーがあり、CGを用いて自分があたかもテニス選手になった気分を味わうことができます。

 写真はオンラインから手軽にダウンロードすることが可能ですが、その際にメールアドレスなどの個人情報を登録しなければなりません。企業にとっては、この情報が「宝の山」となるのです。

観戦に飽きたらワイングラス片手にジャズ演奏も

 アメリカン・エクスプレスは、室内練習場を用いて「ファン・エクスペリエンス」(Fan Experience)と呼ばれる室内休憩所兼エンタメコーナーを開設しています。ここにはサーブのフォームを解析してくれるブースや、室内テニス場、180度回転できる写真撮影コーナー「ラリー・カム」(Rally Cam)などが用意されている他、カードメンバー専用の上質な休憩エリアも併設されています。冷房が効いていることもあり、1時間くらいならあっという間に過ぎてしまいます。こうした協賛企業によるアトラクションが場内にはいくつも用意されているのです。

 このように、USオープンが提供するファン体験とは、単にテニスコートで試合を見せることだけには留まらないのです。思い思いに試合会場を移動し、疲れたら休憩所で休み、観戦に飽きたら企業ブースで気分転換したり、ワイングラスを片手にジャズ演奏を楽しんだりする。

 誰からも観戦スタイルを押し付けられることなく、自分のペースで優雅にのんびりとテニスを楽しむことができるのがUSオープンの魅力なのです。

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