1. コラム

アメリカから見たポスティング制度とTPPの共通点

このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです

 日本プロ野球機構(NPB)と米メジャーリーグ機構(MLB)との間で協議されていた新ポスティング制度が米国時間16日に正式合意されました。今オフは、開幕24連勝という前人未到の新記録を達成して日本一に輝いた楽天ゴールデンイーグルスの田中将大選手が同制度を用いてMLB移籍を希望していると伝えられていることもあり、日本では多くのメディアが交渉経過を詳細に報道していました。

 日本では、野球ファンに限らず多くの日本国民がその動きに一喜一憂していたようです。しかし、意外かもしれませんがこの件は米国ではほとんど話題になっていません。もちろん、関係者の間では田中選手のポスティング移籍は、このオフの選手補強の大きな話題の1つですが、利害関係者を超えた範囲での注目度は皆無と言ってもよいでしょう。

 この日米でのニュースバリューのギャップには、ちょっとした既視感がありました。これはTPP(環太平洋経済連携協定)を巡る日米の報道格差とそっくりなのです。

 日本では、「米国とのTPP交渉は越年か?」「MLBとのポスティング交渉は週明けにも合意か?」などと大きくに報じられていたようですが、米国では朝晩のテレビのニュースを見ても、「TPP」も「ポスティング」も出てきません。マンハッタンのタイムズスクエアで100人のアメリカ人にインタビューしてみても、大半の人から「TPPって何?」「ポスティング制度って何?」と聞き返されるのがオチでしょう。

 TPPを語るのに私は適任ではありませんから、それについては田村耕太郎さんの「TPPが米国の陰謀だなんてあり得ない~米国内でも賛否分かれる超マイナー政策」などをご覧いただくとして、今回は、米国球界においてポスティング制度がどのような位置づけで見られているのかをご紹介しようと思います。両者に共通するのは、田村さんも記事の中で言及されていますが、「日本がアメリカについていろいろと思うほど、アメリカは日本について思ってはいない」という点です。

2012年末に破棄されていたポスティング制度

 ポスティング制度については、その設立経緯や仕組みなどに精通されてない方も多いと思いますので、一度整理してみます。

 一昔前まで日本人選手がMLBに行ってプレーするなどという発想そのものがありませんでした。その既成概念を覆したのが、野茂英雄氏でした。野茂氏は近鉄バファローズを1994年に任意引退すると、事実上日本人初のフリーエージェント選手として翌年ロサンゼルス・ドジャースに入団します。その後の活躍は皆さんご存じの通りです。彼の活躍に後押しされ、その後多くの日本人トップ選手が海を渡ることになります。

 伊良部秀輝氏もそんな日本人選手の1人でした。同氏は、千葉ロッテマリーンズからサンディエゴ・パドレスを交えた三角トレードという形で1997年にニューヨーク・ヤンキースに移籍します。しかし、この移籍が他球団から槍玉に上がりました。「伊良部選手のようなトップ日本人選手の移籍が特定球団だけに持ちかけられるのはフェアでない」という批判が沸き起こったのです。

 結局、この騒動を経て、初期のポスティング制度が1998年に設置されることになりました。その内容は次のようなものです。

  • 移籍を希望する日本人選手の所属球団は、NPBコミッショナーを通してMLBコミッショナーにその選手が契約可能であることを告知(ポスティング)する
  • MLBコミッショナーがMLB全球団にポスティング選手の連絡を行う
  • 選手獲得に興味がある球団は、交渉権獲得の対価となる金額をもって入札する
  • 最高入札額を提示した球団が独占交渉権を獲得する
  • 選手契約が成立した場合、入札金は日本の所属球団に全額支払われる

 しかし、その後、有力選手のポスティング希望が相次ぎ、松坂大輔選手やダルビッシュ有選手のように入札金が5000万ドル(約50億円)を超えるケースが出るなど、そのマネーゲーム化が問題視されるようになりました。そして、2012年12月にMLB側が同制度を破棄することになり、新制度の設立に向けた協議が進められていたのでした。

MLBに一方的に押し切られた日本

 報道によれば、新しい制度では日本の球団が2000万ドル(約20億円)を上限に「希望入札金額」を設定し、複数球団がこの金額での入札を行った場合は、選手が全球団と交渉して契約先を決定できるとされています。新旧の制度の違いは、下表のように整理することができます。

ポスティング新旧制度の比較


旧制度

新制度
入札金の決定主体選手獲得を希望するMLB球団選手が所属するNPB球団
独占交渉権の獲得要件最高額の入札金を提示した球団希望入札額で応札した球団(応札した球団が複数だった場合は、選手が全球団と交渉可能)
入札金の上限なしあり(2000万ドル)

 ご存じのように、旧制度では入札金に上限はありませんでした。そのため、前述のように過去には入札金が5000万ドル(約50億円)を超えるケースもありました。入札金を受け取る日本の球団にすれば、今回の交渉結果は大きな後退に感じるでしょう。

 一方、選手にすれば移籍先を選べる可能性が広がったのは前進と捉えることができるかもしれませんが、入札金の減少から球団が移籍を容認しないリスクもあります。

 交渉過程を振り返ってみると、先月MLBがNPBに提示した最初の案では、入札金に上限はなく(1位と2位の中間とされた)、移籍が成立しなかった場合にはMLB球団にペナルティーが課せされるという内容でした。しかし、12月に入るとMLB側は態度を硬化させ、NPBに不利な前述の内容に提案が修正されてしまいました。

 こうした交渉過程は、日本のメディアでも大々的に報じられたため読者の皆さんにはご存じの方も多いと思います。報道から、僅か数週間の間にNPBがMLBに一方的にやり込められてしまったような印象を持った方も少なくなかったのではないでしょうか。

 言うまでもなく、田中将大選手は日本球界の至宝です。入札金に上限がなかった従来の制度なら、その金額は過去最高になるのは間違いない、場合によっては1億ドル(約100億円)超えか、などと報じられていました。それが、わずか数週間の交渉で数十億円が水泡に帰してしまったわけですから、これは日本球界の沽券に関わる話とばかりに、NPBの交渉姿勢を批判する論調が目立ちました。

 しかし、実はMLBから日本球界を見た場合、見える景色は全く異なるのです。

日本人選手がいなくても困らないMLB

 日本人にとってMLBは「世界最高のプロ野球リーグ」という印象が強いと思います。「いつかはMLB」と思っている日本人選手も少なくないと思いますが、その思いとは裏腹に、MLBは日本球界のことをさほど気にしていません。なぜなら、選手数からみれば、MLBの中で日本人選手が占める割合は非常に小さいからです。

 2013年シーズン開幕時点で、MLBの856人の一軍登録選手のうち28.2%に当たる241人が外国人選手でした(下グラフ)。国籍別で見ると、最も多いのはドミニカ共和国で89人、次いでベネズエラが63人。この2カ国だけで外国人選手の6割を超えます。

 日本人メジャーリーガーは11人でしたが、これは国としては7番目の数で、外国人選手の4.6%(21選手に1人の割合)、メジャーリーガー全体から見れば1.3%(78選手に1人)に過ぎない数です。ちなみに、11人中、ポスティング移籍の選手はイチロー選手、ダルビッシュ選手、青木宣親選手の3人だけです。

 つまり、「高嶺の花」として強い存在感を放つ日本でのMLBとは裏腹に、MLBから見た場合、選手獲得先としての日本球界の存在感はそれほど大きくないのです。万が一ポスティング制度がなくなっても、いずれ数年後に海外FA権を獲得して移籍してくる可能性が高いことを併せて考えれば、MLBは別に日本から選手をポスティングで獲得できなくても困らないのです。

ポスティング制度はマイナー政策

 MLBの立場に立って外国人選手獲得の方向性を考えてみましょう。先ほどのグラフを見れば、ドミニカやベネズエラなどからの選手調達をどうするかを考えることが最も優先順位が高いことは自明です。そして、これこそまさにMLBが今着手していることなのです。

 以前、「MLBが推進する国際ドラフト構想のインパクト(下)~日本球界はドミニカの二の舞になるのか?」でも解説したように、現行のMLBドラフトで対象となるのは米国人、カナダ人、プエルトリコ人(そして、米国の大学に入学した外国人)だけで、これ以外の外国人選手は、どの球団とも交渉できるフリーエージェントとして扱われます。FA選手の獲得の場合、経営規模の大きな球団が有利となりますが、1990年代以降こうした外国人選手の数が増え、これが戦力格差を広げていると言われてきました。

 そのため、MLBは外国人選手獲得のマネーゲーム化を抑止すべく、すべての海外選手をドラフト制度で指名する「国際ドラフト」の導入を検討しています。外国人選手の8割以上は国際ドラフト対象国の出身ですから、ここからの選手獲得プロセスを適正化するのです。

 日本や韓国、台湾など、MLBからの“系列化”を免れ、一定レベル以上のプロ野球リーグが存在し、MLBとの移籍協定(ポスティング制度)が存在する国は、無条件での国際ドラフト対象にはならない見込みですが、こうした国は例外的な位置づけです。241人の外国人選手中、この3カ国の選手は合計14人。うちポスティング移籍は4人(前述の日本人選手3人と韓国出身の柳賢振選手)に過ぎません。ポスティング制度はマイナー(優先度の低い)政策なのです。

 MLBでは2011年11月末に新たな労使協定が締結されたのですが、新協定では、国際ドラフトの導入を検討する「国際タレント委員会」が設置されました。委員会は、2014年シーズンからの導入をメドにその運用規定の検討を進めており、今年6月1日までに労使間で合意を得ることが求められていました。しかし、国際ドラフトには以下を含む複雑な検討事項が多く、結局この期日までに合意を得ることができませんでした。

  • 国際ドラフトを行う場合は、現行ドラフトに統合すべきか、別途行うべきか
  • 年齢制限(最低必要年齢)を設けるべきか否か
  • 現行ドラフトで指名されているプエルトリコは国際ドラフトに入れるべきか
  • ドラフト対象前の外国人選手の育成をどのように行うか
  • 外国人選手の代理人をどのように管理・規制するか
  • 各国の野球アカデミーでの教育プログラムをどう改善するか
  • 外国人選手への契約金をどう制限するか
  • 各国の法規制と照らし合わせて問題ないか

 MLBは、1年後ろ倒しにした2015年シーズンからの国際ドラフト導入を目標にスケジュールを変更し、議論を続けて行く方針です。ポスティング制度でも基本的に交渉の方向性を決めるのはこの「国際タレント委員会」とされていますが、今シーズンはこの調整作業に加え薬物スキャンダルや委員会のメンバーだったMLB選手会事務局長の病気などの突発事項もあり(残念ながら先月脳腫瘍により急逝)、はっきり言ってポスティングどころではなかった、というのが実情だったわけです。旧ポスティング制度は1年前には失効していたわけですが、最近まで動きらしい動きがなかったのはそのためです。

 前述のように、日本から選手を獲得できなくてもMLBは困りません。外国人選手獲得のマネーゲーム化を懸念するMLBでは、ポスティング交渉がまとまらずに「日本人トップ選手が今すぐ獲得できない」ことよりも、拙速な交渉により「MLB入りした日本人トップ選手が戦力バランスを崩す」方が問題視される状況にあり、交渉決裂を恐れずに強気で協議に臨むことができたのです。

MLBの政治的動向に巻き込まれた不運

 NPBにとって不運だったのは、交渉のタイミングも悪かった点です。今回、MLB側を代表してNPBと交渉を行ったのは、COO(最高執行責任者)のロブ・マンフレッド氏でした。現在、MLBのコミッショナー、バド・セリグ氏は2015年1月での退任を発表しており、その後継者争いが過熱しているのですが、その最右翼と見られているのがこのマンフレッド氏です。

 MLBでは、新コミッショナーの選任には全球団の4分の3以上の同意が必要です。次期コミッショナーの座を狙うマンフレッド氏としては、23球団以上からの同意を取り付けるために、ポスティング交渉で変に球団側と敵対関係を作りたくないという気持ちがあったはずです。

 前述したように、MLB側は12月に入り態度を硬化させ、11月に提示した案を撤回しました。この動きの裏には、「田中選手争奪戦」に参加できない資金力で劣るスモールマーケットの球団からの反対があったと言われています。

 田中選手の獲得に限って言えば、従来の制度なら入札金が最高額を更新するのは間違いないと言われていました。その金額は7500万ドルとも1億ドルとも言われていましたが、こんな金額を支払うことができる球団は限られます。つまり、今回のポスティング交渉に当たっては、過半数の球団が当初の案(入札金を1位と2位の中間にする)には反対だったと考えられます。

 この状況では、反対する球団を無理に説得してポスティング交渉をまとめる積極的な動機がマンフレッド氏にありません。それよりも、戦力均衡を理由に状況を見守り、球団主体の多数決でNPBとの協議を進めていく方が無難だったのでしょう。

 ポスティング交渉で日本がMLBにまともに相手にしてもらえなかった本質的な原因は、MLBにとって日本球界が選手獲得先として「One of Them」のマーケットに過ぎないことが大きいです。それに加え、米球界では外国人選手獲得における戦力均衡に向けた流れが強まってきている中で国際ドラフト設置への議論がまとまらず、ポスティング制度どころではなかった点、さらに次期コミッショナー選任に向けた政治的動向も絡んできてしまった点が、結果的にNPBにとって分が悪い方に出てしまったのだと私は見ています。

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