1. コラム

米スポーツ産業は「100年に1度」の不況を乗り越えられるか?(上)

このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです

 米国では、長らくスポーツビジネスは他産業に比べて「不況知らず」(Recession-Proof)の産業だと言われてきました。米国人の心の拠り所であるスポーツは、例え不況があろうと、戦争があろうと支持されてきた歴史があります。2度の大戦中も米大リーグ機構(MLB)のワールドシリーズが開催されたのは有名なエピソードですが、2001年9月11日の同時多発テロの際も、多くの米国国民は悲しみに沈んだ状況から救い出してくれる役割をスポーツに求めたのです。

 経済規模から考えれば、スポーツより大きな産業はたくさんありますが、米国国内の多くの地域においてスポーツは文化の中心的役割を果たしています。それは、米国人がスポーツを「消してはいけない炎」と捉えているのを表しているように見えます。

 しかし、「100年に1度」と形容される今回の不況では、その影響を受けずには済まされないようです。

 サブプライムローン問題に端を発した金融危機が世界を席巻していく中、市場の混乱で保有株が下落したり、融資先の倒産で不良債権が膨らんだりするなど、多くの金融機関が業績を悪化させています。また、ここにきて金融危機は自動車業界にも飛び火しました。経営危機に陥った米自動車大手3社(ビッグスリー)の救済策は迷走、米国議会は民主党が提出した支援法案の採択を来月まで先送りにしたばかりです。

 実は、米国で不況の象徴として取り上げられる金融業界や自動車業界は、スポーツビジネスと密接な関係にあります。

スポーツを支える金融マネー

 ほんの数年前、ニューヨークは金融機関の投資マネーで活況を呈していました。といっても、これはウォール街の話ではありません。

 現在、ニューヨークでは新スタジアムや新アリーナの建設ラッシュが起きています。「ベーブ・ルースが建てた家」のニックネームでお馴染みだったヤンキースタジアムが、今シーズン終了をもってその85年の歴史の幕を閉じたことは有名ですが、実は、ニューヨークには新ヤンキースタジアムをはじめ建設中のスタジアムやアリーナが5つもあります。北米アイスホッケーリーグ(NHL)ニュージャージー・デビルスの新アリーナも、つい昨年オープンしたばかりです。

 ところで、新スタジアムや新アリーナの名前を見て何か気付くことはありませんか? そうです、新施設の半数に金融機関の名前がついています。これは、施設命名権を金融機関が購入したためで、デビルスの新アリーナは米金融大手プルデンシャルの名が付いています。メッツの新スタジアムには、米金融大手シティグループ、ネッツの新アリーナはリーマン・ブラザーズを買収した英金融大手バークレイズが、それぞれ命名権を取得しています。

 シティやバークレイズのような商業銀行は、預金者から集めた資金を運用して利益を稼ぐビジネスモデルを採用していますが、元手資金となる普通預金を集めるのは容易ではありません。どの大手銀行も同じような利率やサービスを提供しているから、違いが打ち出しにくいのです。そこで、企業ブランドや商品ブランドの浸透を図る必要があります。

 その点、年齢や性別、人種や宗教を超えて幅広い層に訴求力を持つスポーツの本拠地施設の命名権を購入することは、浸透度を高めるために効果的な戦略となるのです。バークレイズのように、米国民にまだ馴染みの薄い金融機関ならなおさらでしょう。

 そして、この命名権契約の権利料は巨額です。シティグループとバークレイズは年平均2000万ドル(約20億円)、プルデンシャルも約500万ドル(約5億円)の命名権料を20年にわたって支払い続けることになっています。

 しかし、シティグループは業績不振から合併や身売りを検討していると報じられたほか、政府による大規模な救済策が発表されました。バークレイズにしても、リーマンの北米投資銀行部門買収に2億5000万ドル(約250億円)をつぎ込んでおり、新アリーナの工事着工遅延を口実に契約を白紙に戻すのではないかとも囁かれています。こうした巨額の命名権契約がご破算になれば、球団経営に対するインパクトも少なくないはずです。

スタジアム建設もマーケット縮小でピンチに

 金融機関の業績不振によるスポーツ産業へのインパクトは、命名権契約にとどまりません。現在、金融機関は信用市場の収縮に備えて、融資の引き締めや支出の削減などで資金をかき集めています。そのことが資金調達コストの上昇につながり、巨額の資金を必要とするスタジアム建設プロジェクトの行く末にも大きな打撃を与えます。

 先にも述べたように、ニューヨークだけで5つの新スタジアムや新アリーナが建設中です。「格差の徹底排除で成長するNFL(下)」などでも解説したように、最新鋭スタジアムは球団経営の収益性向上に大きく寄与します。逆に言えば、球団は将来の「カネの成る木」を手に入れるために、(自治体を揺さぶって税金を当てにするケースもありますが)金融機関からカネを借り、社債を発行して建設費用を捻出しています。

 しかし、今回の金融危機が起こる以前から景気に陰りが見えていた米国では、銀行がローンの返済期間を短く設定したり、債券保険会社(業績悪化などによりスタジアム資金調達用の債券を予定通り償還できなかった場合、発行者に代わって債券購入者にプレミアムを支払う保険会社)の倒産が相次いだりするなど、資金調達の難易度が上がっていたところでした。そこに、9月のサブプライム危機が起こったわけです。

 スタジアム建設は窮地に立っています。かねての原油高による部品調達コストの高騰があったうえに、今回の金融危機による資金調達コストの上昇が加わったわけです。コストは設計時を大きく上回る額に膨張しました。例えば、先の表にもあるNFLのニューヨーク・ジャイアンツとジェッツの共同スタジアムの建設コストは、計画時の倍以上の17億ドル(約1700億円)にも達しています。来年オープン予定の米ナショナル・フットボールリーグ(NFL)ダラス・カウボーイズの新スタジアムの建設費は2004年の計画段階では6億5000万ドル(約650億円)でしたが、現時点では12億ドル(約1200億円)と見積もられており、チームは追加融資を余儀なくされました。

 さらに、チームの売買が停滞する可能性もあるでしょう。例えば、福留孝介選手が所属するMLBのシカゴ・カブスは、一昨年から売りに出されています。カブスのオーナーは、「シカゴ・トリビューン」や「ロサンゼルス・タイムズ」などの有力紙を傘下に持つトリビューンだったのですが、インターネットへの読者や広告の流出により経営が悪化したため、すでに同社は地元シカゴの不動産王、サム・ゼル氏に身売りされました。

 そのゼル氏も球団売却を決め、10月中にチーム買収希望者による入札を実施する予定でした。ところが、買い手にとって資金調達が難しく、売り手にとっても株式市場の下落によりチームの評価が下がっていることから、入札延期となっています。

最大の広告スポンサー、自動車業界の苦境

 スポーツ産業へのインパクトという点では、金融業界よりも自動車業界の方が大きいかもしれません。なぜなら、自動車業界は金融業界の倍以上のカネをスポーツに投下しているからです。実際、自動車業界はスポーツ産業に広告宣伝費を投下する額が最も大きな産業です。

 自動車業界のスポーツに投下する広告宣伝費が突出して大きい理由としては、スポーツファンと自動車産業のターゲット顧客層が極めて似通っていること(アクティブなライフスタイルを志向する、家族層が多いなど)が挙げられます。実際、2006年のスポーツへの宣伝広告費の企業ランキング上位50社に自動車関連企業は14社(うち9社がビッグスリー関連企業)がランクインしており、平均すると宣伝広告費の約4割をスポーツに投下しています。

GMはタイガー・ウッズとの契約を打ち切り

 しかし、販売低迷に悩む自動車業界は、今後大幅な宣伝広告費の削減などコストカットが避けられない情勢にあります。資金繰りの悪化により広告宣伝費の削減を進めているGMは今週になってプロゴルファーのタイガー・ウッズとのスポンサー契約を今年末で打ち切ることを発表したばかりです。

 仮に、米政府が経営危機に瀕するビッグスリーに対する資金援助を渋り、破産法の適用といった事態に陥れば、自動車業界から巨額の宣伝広告費を受けているスポーツの被る打撃も少なくないはずです。下表を見ても分かるように、ビッグスリーだけでもリーグ、チーム、イベント、命名権といったスポーツビジネスのあらゆる領域に宣伝広告費を投下しています。

ビッグスリー危機がテレビ放映権に影響も

 自動車業界の宣伝広告費はテレビ広告にもふんだんに使われています。テレビ広告に対する広告費がカットされれば、スポーツ放送の放映権契約にも影響が出る恐れがあります。通常、スポーツ組織はテレビ局と複数年の放映権契約を結ぶことから、すぐに影響が出ることはないのですが、長期的には放映権料の伸び悩みなどの要因になる可能性があります。そして、その予兆とも受け止められる出来事が既に起こっています。

 米国で大人気の大学フットボールには、ボウル・チャンピオンシップ・シリーズ(BCS)と呼ばれるシステムがあります。レギュラーシーズンの成績優秀校10校が選抜され、成績に応じて5つの特別ゲーム(ボウルゲーム)を戦うのです。現在、このBCS5試合のうち、4試合の放映権を地上波FOXが2010年まで取得しているのですが(残り1試合はケーブル大手のESPNが2014年まで保有)、2011年以降の契約交渉が今まさに進行しています。

 交渉中の2011年以降の放映権は、ESPNが手に入れると見られています。どの地上波テレビ局もESPNが提示した金額には手が出ないからです。現行の契約でFOXは年平均8250万ドル(約82億5000万円)の放映権料をNCAAに支払っていますが、ESPNが新契約で提示した額は年平均1億2500万ドル(約125億円)と言われており、FOXが提示した1億ドル(約100億円)を大きく上回るものでした。地上波テレビ局はテレビCM収入一本に頼った収益構造ですが、ケーブルテレビはそれに加え、加入者からの受信料という「第2の収益源」があります。そのため、不況下では懐具合が地上波テレビ局よりいいわけです。

 しかし、受信世帯数を考えると、地上波の方がケーブルよりも多い状況が続いています。放映権がケーブルテレビに流れることで、スポーツの普及やブランド展開に支障を来たす恐れがあります。スポーツ組織は、目の前のカネを取るのか、長い目で見たスポーツ普及を取るのか難しい判断を迫られることになるでしょう。

 このように、金融業界や自動車業界は米スポーツビジネスとの結びつきが強く、その経営危機は米国スポーツ業界に少なからずインパクトを与えそうです。昨年まで、米国4大メジャースポーツは順調に右肩上がりの成長を続けてきましたが、その成長ペースにも陰りが出てくるでしょう。今回は、金融危機のスポーツビジネスへの影響を、広告宣伝や放映権など主にB2Bの領域から考察しました。次回は、B2Cの視点から、金融危機の影響と、それに対するスポーツ組織の対応などについて触れてみようと思います。

(次回につづく)


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