1. コラム

日本サッカー、アジアカップ優勝の「宴の後」

このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです

 「宴の後」とはこのことなのでしょうか。

 サッカー日本代表は、アジアカップで宿敵韓国を破り、強敵オーストラリアも接戦の末に蹴散らして、アジアチャンピオンに輝きました。昨年のワールドカップ・ベスト16に続く快挙でした。

 ところが、その後日本人選手が次々とタダで海外に引っ張られています。

 「0円移籍」

 この意味は、所属していたJリーグのクラブに1銭の見返りもない移籍のことです。「クラブの経営悪化を招く」という指摘も聞こえてきます。

 この言葉が広まったのは、アジアカップの立役者の一人、香川真司選手の一件でした。ワールドカップ後、昨年7月にセレッソ大阪からドルトムント(ドイツ)に移籍した香川選手の活躍が国際マーケットでの日本人選手の評価を高め、皮肉にも、その後の日本人選手の「0円移籍」を加速させるきっかけとなりました。

 香川選手に続き、昨年12月にはガンバ大阪の家長昭博選手がRCDマジョルカ(スペイン)に、サンフレッチェ広島の槙野智章選手がFCケルン(ドイツ)に、今年1月にはガンバ大阪の安田理大選手がフィテッセ(オランダ)に立て続けに移籍しました。今月には清水スパルスの岡崎慎司選手がシュツットガルト(ドイツ)に移っています。

 すべて「0円移籍」でした。

 世界のサッカー界を襲う「市場のグローバル統合」。そのうねりに飲まれ、保有権を持つJリーグのクラブが選手移籍の対価を得られなくなっているのです。これは、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への加入で始まる世界競争を、サッカー界が先取りした構図とも言えるかもしれません。

 今回は、日米スポーツビジネスの投資回収モデルの比較から、「0円移籍」の本質をあぶり出します。グローバルな動きの中で、日本のサッカー界がどのような状況に置かれているのか、考えていきましょう。

なぜ松井はタダでいいのか!

 実は、同じ時期に日本のプロ野球(NPB)でも「0円移籍」がありました。

 昨年11月、北海道日本ハムファイターズに所属していた建山義紀選手が、テキサス・レンジャーズと契約を結びました。しかし、この「0円移籍」は取り立てて騒がれることはありませんでした。

 しかし、考えてみると建山選手ばかりではないのです。これまで多くの日本人選手が「0円移籍」で海を渡りました。

 例えば、松井秀喜選手も、読売ジャイアンツからニューヨーク・ヤンキースに「0円移籍」しています。福留孝介選手(現シカゴ・カブス)や上原浩治選手(現バルチモア・オリオールズ)、岡島秀樹(現ボストン・レッドソックス)、黒田博樹選手(現ロサンゼルス・ドジャース)など、そうそうたるメンバーがタダで移籍してしまいました。

 しかし、メジャー移籍は、「人材流出」こそ問題視されますが、誰も「0円移籍」でチーム経営が厳しくなるとは騒ぎ立てません。逆に、サッカー界では中田英寿選手や稲本潤一選手、高原直泰選手など、トップ選手が海外に移籍していきましたが、その時に野球のように「人材流出だ」と騒がれることはありません。

 サッカーと野球で、これほど反応が違うのはなぜでしょうか?

 実は、この答えを解き明かしていくと、開放型ビジネスモデルを採用するサッカーと、閉鎖型ビジネスモデルの野球との投資回収モデルの違いが見えてきます。

正反対のビジネスモデル

以前、「NFLの最強モデルが壊れる時(上)」「自己否定により進化する欧米プロスポーツ界互いのノウハウを学び合う欧米スポーツビジネス界(下)」でも解説しましたが、欧州と米国のスポーツ界で採用されているビジネスモデルは対照的です。そのビジネスモデルの差異を簡単に復習しましょう。

 米国のスポーツリーグの原点は、「自分たちだけが世界」と言えます。外の世界の存在を認めないモンロー主義的発想の「閉鎖型モデル」です。一方、欧州サッカー界が採用しているモデルは、「自分たちは世界の一部である」というコスモポリタニズム的世界観に支えられた「開放型モデル」です。

 ビジネスモデルが正反対になった背景の1つとして、米国の4大メジャースポーツ(野球、フットボール、バスケットボール、アイスホッケー)は事実上北米(米国とカナダ)が他の地域に比べて、圧倒的に高い人気と競技レベルを誇っていることがあります。一方、サッカーはヨーロッパや南米を中心に、世界中に強豪国がひしめき、しのぎを削っています。

 外の世界を認めない米国の閉鎖型モデルでは、なるべく消化試合を減らして、同じチームの中でできるだけ「優勝の行方が分からない状態」を長く続ける、つまり戦力均衡の発想が不可欠となります。そして、それを実現させるために、選手の移籍流動性(主にドラフト制度とフリーエージェント制度による)と球団の財務力(主に収益分配制度とサラリーキャップ制度による)を機能させる、共和主義的な施策が取られます。

 一方、欧州の開放型モデルでは、リーグがピラミッド階層のように組織され、上位リーグの敗者は下位リーグに降格し、下位リーグの勝者は上位リーグに昇格します。この場合、戦力を均衡させるという発想は希薄で、閉鎖型モデルに見られるような管理策はあまり見られません。

メジャーリーグは独占スレスレ

 米国の閉鎖型モデルでは、独占すれすれの管理施策により利益を関係者全体で享受し、リーグ全体として長期的な繁栄を築きやすいという利点があります。しかし、その内向的・孤立主義的態度により海外市場をとりこぼしたり、下位チームに合わせた協調戦略により上位チームの伸びしろを削ったりすることがあります。また、独占と紙一重なために(ビジネスの非効率性ゆえに)ファンや納税者が搾取されるといった欠点もあります。

 一方、欧州の開放型モデルでは、自由競争に基づいているためチームや選手の努力が正当に評価され、その利益が勝者にきちんとフィードバックされるという長所があります。しかし短所は、長期的な協調よりも短期的なサバイバルが優先されるため、敗者に対するセーフティーネットが欠けていて長期的なリーグの繁栄を阻害する財政的問題(チームの倒産など)を生み出すリスクがあることです。

 「松井もイチローも戻ってこない?米国スポーツが一斉にスト突入という「2011年問題」(下)」でも解説しましたが、米国の閉鎖型モデルでは戦力均衡のために選手の権利が制限されます。例えば、前年度の成績が悪い球団から順番に入団選手を指名するドラフト制度は、個人の職業選択の自由を制限するものです。そして、ドラフト制度による権利制限は、フリーエージェント制度(移籍の自由が与えられ、自由に他球団と契約交渉を行うことができる制度)によってバランスされていると考えることができます。

 つまり、戦力均衡のために一時的に選手の権利は制限するが、一定期間経過した後にその権利を回復させるのです。

 例えば、メジャーリーグ(MLB)では前年度の勝率が低いチームから順番に50ラウンドのドラフトが実施されます。全30チームが参加するドラフトでは毎年1500名近くのアマチュア選手が指名を受ける(職業選択の自由を制限される)ことになります。ドラフトされた新入団選手は一旦マイナーリーグに送られ、選手としての技量を磨くことになりますが、晴れてメジャーリーグに昇格し、メジャーでのプレー経験が6年に達すると、フリーエージェント権を獲得し、自由に他球団と契約を結ぶことができる(職業選択の自由を回復する)ようになります。

 選手をフリーエージェントによって失った球団には、獲得した球団から次年度開催されるドラフトでの指名権が譲渡されることになります。その意味では、FA制度は「現在の戦力」と「未来の戦力」のトレードと考えることもできますが、金銭的な補償はありません。

 つまり、メジャー球団経営者としては選手がフリーエージェント権を獲得するまでの6年という期間が、選手への投資を回収する1つの目安になります。選手を無条件で確保できるこの期間に、いかに選手を効果的に育成し、チームの戦力強化を図るのかが肝要となるわけです。6年経過したら、選手がフリーエージェントで他球団に「0円移籍」してしまうリスクがあるからです。

なぜサッカー界が激変したのか

 一方、ドラフト制度の存在しない欧州サッカー界では、基本的に入団した選手は全員フリーエージェント権を保有していると考えることができます。そのため、契約が満了すれば、選手は自由に移籍することが可能です。

 しかし、これはチームの戦力強化の観点から見れば大きなリスクにもなります。せっかく大金をかけて育ててきた選手が「これから投資を回収するぞ」という時に移籍してしまうかもしれません。そのため、こうした「常時フリーエージェント状態」の欠点とバランスを取るために、移籍金という仕組みがあるのです。

 つまり、移籍で選手を獲得するクラブが、選手を失うクラブに移籍金という補償金を支払うという仕組みです。補償金があれば、投資回収の機会を逸したクラブでも、得たカネを使って同レベルの選手を獲得することが可能となります。

 このように、移籍の自由を一定期間制限して、その間で投資回収を図るのが米国の閉鎖型モデルの投資回収なのです。一方、欧州モデルは、投資回収期間を明確に設定せずに移籍金という補償金で投資回収のリスクをヘッジするわけです。

 日本のプロ野球界で「人材流出」が「0円移籍」よりも騒がれたのは、閉鎖型モデルではその設計上リーグの外への移籍を想定していなかったためでしょう。また、野球界では、フリーエージェント選手によるメジャーへの「0円移籍」は、野茂選手の渡米以降、常識になっていました(ただし、日本国内でフリーエージェントによって移籍する際は、金銭的補償や人的補償が発生する)。

 一方、サッカー界で「0円移籍」が騒ぎ立てられたのは、開放型モデルが移籍金によって投資を回収してきたためでしょう。選手の流動性の高いサッカー界では、他リーグへの移籍は昔から常識だったので、「人材流出」が声高に叫ばれることはなかったのです。

 では、サッカー界で、これまで非常識だったはずの「0円移籍」がなぜ頻発するのでしょうか?

 それは、欧州の開放型モデルの投資回収策を根底から覆す事件に端を発します。そして、振り返ってみれば、この事件は欧州連合(EU)が強力に推進している「市場のグローバル統合」という流れに、サッカー界が呑みこまれていく序章に過ぎませんでした。

欧州サッカー界を震撼させた「ボスマン判決」

 1990年、ベルギーリーグ2部のRFCリエージュに所属する無名の選手だったジャン=マルク・ボスマン選手は、契約終了後、オファーのあったフランス2部のダンケルクに移籍しようとしました。しかし、リエージュが同選手の所有権を主張して事実上移籍を阻止しようとしたため、同選手がリエージュの所有権の放棄や逸失した収入の補償を求めてベルギーで裁判を起こしました。

 裁判はボスマン選手の勝訴に終わります。しかし、彼はさらにヨーロッパの移籍制度を管理していたヨーロッパサッカー連盟(UEFA)を相手取って、移籍金制度と国籍条項の撤廃を求めて欧州司法裁判所(ECJ)に訴えたのです。当時は、前述したように選手の契約が切れてもクラブは移籍金を手にしていました。さらに、国籍条項により外国人の出場人数が制限されていました。

 この訴えに対するECJの判決が、欧州サッカー界を震撼させることになった「ボスマン判決」です。

 ECJは1995年12月、「移籍金制度と国籍条項は、EUが保証する労働者の移動の自由(freedom of movement for workers)に反する」として、違法判決をくだしたのです。この判決により、クラブは契約が満了した選手が移籍した場合、従来のように移籍金を受け取ることができなくなりました。また、選手はEU加盟国内であれば国籍による出場制限を受けることもなくなりました。

 この判決は、ヨーロッパにて市場統合を強力に推進し、加盟国間での自由な通商が保障されるべきというEUの基本理念が、スポーツビジネスにも例外なく適用された意味で革命的な出来事でした。

 UEFAは当初、ボスマン判決を拒否する姿勢を示していましたが、欧州委員会(EC)から判決に従わなければ制裁金を科すとの通達を受けたため、1996年にボスマン判決に従うことに合意しました。この流れを受け、国際サッカー連盟(FIFA)も2001年にボスマン判決に沿った形で国際移籍制度を改正したのです。

グローバル化にのみ込まれた日本サッカー界

 ボスマン判決をきっかけに、欧州サッカー界は選手への投資を一定期間で回収する閉鎖型モデルに移行していきます。FIFAは、23歳以上の選手の移籍については移籍金を廃止しました。また、23歳未満の選手の移籍については「育成補償金」と呼ばれる、選手の育成に費やした費用を補償する制度を導入しました。

 つまり、閉鎖型モデルが行うような選手の移籍制限は行わないが、(投資回収までの期間が不十分な)一定年齢以下の選手の移籍については育成補償金を認めるという折衷案です。23歳という投資回収の明確な期間が設定された点が、クラブ経営を大きく変えることになりました。

 そして、この変革の波は日本サッカー界を否応なく飲みこんでいくことになります。

 日本サッカー協会とJリーグは、2009年に従来の移籍金制度を撤廃し、FIFAルールに準じた新たな育成移籍金制度を導入する決断をくだしました。Jリーグでは、それまで最大で年俸の約10倍の移籍金が発生する独自の移籍金制度を運用していましたが、これはFIFAルールに準じておらず、Jリーグ選手会との間で国際基準にあった移籍制度の導入について交渉が続けられてきました。

 新たに導入された育成移籍金制度では、満23歳の1月1日までの移籍については育成補償金が発生することとされ、所属クラブのレベルに応じて補償金額が算出されることになりました。逆に言えば、満23歳の1月1日以降の移籍については原則「0円移籍」となったワケです。このコラムの冒頭でお伝えした家長選手、槙野選手、安田選手、岡崎選手が移籍したのは、いずれも満23歳の1月1日以降の移籍でした。

 ボスマン判決で動き出した移籍自由化の流れに、世界の有力チームは、有望選手と5年程度の複数年契約を結ぶことで対応しています。契約年数を長期化させることで、契約期間内に移籍した場合、従来までの移籍金を「違約金」という形で手にするためです。しかし、こうした芸当ができるクラブは金銭的に余裕のあるクラブに限られます。Jリーグの平均以下の経営規模のクラブでは、なかなかこうした対策は講じられません。その上、海外志望の強い選手は複数年契約を嫌がる傾向もあります。

 一般論として、国内移籍に関税のような形で国際移籍より高額の移籍金を科せば、選手獲得においては移籍金の低い海外クラブの方が有利になります。これは、NPBからMLBへのフリーエージェント選手の流出が証明しています。前述のように、NPBでは国内FA移籍では金銭的・人的補償が必要ですが、海外FA移籍ではそれが不要です。NPB選手のMLB流出においては、日米の球団間の資金力の違いばかりが注目されるきらいがありますが(確かに資金力の違いは大きいのですが)、実はこうした制度的な格差が選手流出を加速させていることはあまり知られていません。

 日本サッカー界がこうしたプロ野球における制度欠陥を他山の石としたかどうかは不明です。しかし、日本サッカー協会とJリーグの決断は、「短期的な業界保護に走れば、長期的には国際競争によって衰退を招く」との考えに基づいたものと言えるかもしれません。その結果、世界基準に則したチーム運営を、球団経営者に求めることになったと考えられます。

 前述したように、サッカー界が採用する開放型モデルでは、敗者に対するセーフティーネットが欠けていて長期的なリーグの繁栄を阻害する財政問題(チームの倒産など)を生み出すリスクが指摘されています。今後、Jリーグのクラブには世界のクラブと同じ視点に立ったグローバルな競争意識が否応なく求められることでしょう。一方、国際基準経営を実現していく中で、リーグ全体としてクラブの競争力を維持する手綱さばきが求められています。

「0円移籍」はグローバル経営の荒波に漕ぎだした日本サッカー界が最初に遭遇した嵐と言えるのかもしれません。

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