1. コラム

米国のスポーツ組織は“ブラック企業”?

このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです

 スポーツ界で働く事はこれまで「夢の仕事」(Dream Job)と言われてきました。大人から子供までが胸躍らせて足を運ぶ芝の匂い漂うボールパーク。1点の攻防に歓喜の声援があふれるアリーナ。こうした、子供の頃からの喜怒哀楽が詰まった世界で仕事ができることに、多くの人が憧れるのです。

 誰もが働きたいと思っている業界だからこそ、自分の代わりはいくらでもおり、1日15時間、16時間の長時間労働は当たり前。土日もフルに休めるなんてことは、1年を通してそれほどありません。大学院でスポーツ経営学の専門教育を受けたアメリカ人ですら、年収2万ドル(約200万円)、3万ドル(約300万円)からのスタートということはざらです。むしろ、こうした厳しい労働条件でもフルタイムの職にありつけた人は幸運と言うべきで、全米に数あるメジャーからマイナーに至る数百のチームに履歴書を送ったが返事が1つも来ない、なんてことも珍しくありません。

 いかに米国のスポーツビジネス界への就職が難しいかは、以前『球団への就職は「夢のまた夢」』にて、弊社のインターンだった2人の学生の就職活動の様子をケーススタディーとしてご紹介しました。特に、2001年の911テロや2008年の“リーマン・ショック”後は、保護主義的な色彩の強い雇用法の成立などもあり、さらに困難を極めるようになっていました。

 しかし、最近、「夢の仕事」であるはずのスポーツ界で異変が起きています。何をあろうか、せっかくその夢への入り口に手を差し掛けたばかりのインターンが、雇用主に対して訴訟を起こし出したのです。アメリカのスポーツビジネス界では今、一体何が起こっているのでしょうか? 米スポーツ組織は“ブラック企業”なのでしょうか?

スポーツ界の未来を揺るがすインターン訴訟

 そのニュースは、米国スポーツ界では大きな衝撃を持って受け止められました。

 今年9月、あの「世界で最も有名なアリーナ」(The World’s Most Famous Arena)ことマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)の元インターンが同社を訴えたのです。訴えは集団訴訟として日に日に原告数を増やしており、最終的には500人を上回ると見られています。

 訴えを起こしたのはMSGが保有するNHLニューヨーク・レンジャーズで2011年9月から2012年1月まで約5カ月間インターンとして勤務していたクリス・フラティセリ(Christopher Fraticelli)氏。訴状によると、原告は「MSGは不当に“インターン”もしくは“学生アソシエイト”(student associate)の肩書で大学生を無給で雇用し、正社員と同様の仕事をさせていた」として、得べかりし給与の返還をMSGに求めています。

 無給での学生インターンはスポーツビジネスに限らず、米国のエンターテインメント業界ではよくある取り組みです。この中で、学生は労働力を提供する対価として、学校では学ぶことのできない貴重な職務経験を積むのです。いわば、「経験こそがその報酬」という世界です。

 この訴訟の何が驚きかと言えば、従来までは「貴重な報酬」であるはずの職務経験という対価を得ているにもかかわらず、その雇用主を訴えた点です。原告は、単なる雑用ではなく、正社員と同様の仕事をさせてもらっていた(チケット販売や協賛営業をしていた)わけですから、それはインターンとしては喜ぶべきことのはずでした。

 原告が求める逸失賃金といっても、最低賃金と同額と考えて差し支えないでしょうから、微々たる額です。ニューヨーク州の最低賃金は現在、時給7.25ドル(約725円)ですから、フルタイムで働いたとしても月給1000ドル(約10万円)ちょっとです。原告は5カ月勤務しているので、逸失賃金は50万円程度となります。

 この訴訟は、見方によっては僅かな最低賃金の支払いを求めるためだけに、経験という対価を受け取ることのできる貴重な「無給インターン」という仕組みそのものを破壊しようとしている、とも考えられるのです。

 誤解のないように断っておきますが、米国では無給インターンが即違法というわけではありません。米労働省は、「合法的な無給インターン」の要件として、以下の5つを挙げています。

(1)インターンシップがインターンの利益になっていること
(2)インターンが正社員の仕事を代用しないこと
(3)インターンシップが教育的背景から訓練として機能していること
(4)雇用主がインターンの仕事から直接的な利益を受けないこと
(5)雇用主・インターンの両者が無給労働に合意していること

 つまり、端的に言えば、「正社員と同じ仕事をさせるなら、給料を払わなくてはならない」ということでしょう。先ほどご紹介した現在係争中のMSGのケースは、まさにこれに当たります。

映画業界から始まった無給インターン提訴の流れ

 無給インターンによる雇用主の提訴が始まったのは、実はスポーツ業界からではありません。この流れを作ったのは、今年6月の映画業界における裁判判決でした。

 2010年に公開された「ブラック・スワン」という映画を覚えているでしょうか? バレエ『白鳥の湖』の主演に抜擢され、可憐なホワイト・スワンと官能的なブラック・スワンの2つを演じることになったバレリーナが、プレッシャーなどによって徐々に精神を壊していくサスペンス映画です。第83回アカデミー賞では作品賞を含む5部門で候補に挙がり、主演のナタリー・ポートマンは、アカデミー主演女優賞をはじめとして多くの賞を受賞しました。

 この映画のプロダクション会社でインターンをしていた2人の学生が、2011年9月に同映画の製作・配給を行うFOXサーチライト(Fox Searchlight)を提訴しました。訴状によると、原告は「電話応対や社員の出張のアレンジ、映画セットのオーダーや組み立て、ゴミ出しなど正社員と同様の仕事を無給でやらされた」として、逸失賃金の賠償を求めたのです。

 これに対し、被告であるFOXサーチライトは、いわゆる“主要便益テスト(primary benefit test)”と呼ばれる「インターンの労働による会社への利益が、会社からインターンに与える便益を上回る場合のみ給与を支払う必要が生ずる」という抗弁で対抗しました。そして、今年6月に下されたこの裁判の判決が、米産業界を震撼させるものになったのです。

 裁判所は、被告による“主要便益テスト”の主張を退けた上で、前述した労働省によるガイドラインを引合いに出し、「無給インターンによる労働が直ちに企業に利益をもたらしてはならない(企業に直ちに利益をもたらすインターンは有給でなければならない)」「このケースでは原告は従業員として認められる」として、原告勝訴の判決を下したのです(被告側は控訴)。

 米国では、年間100万人を超える学生がインターンを行っていると言われていますが、その半数以上は無給インターンと推定されています。そのため、この判決の影響は甚大です。

無給インターンは本当に悪い慣行なのか?

 以下は、最近の主な無給インターンによる訴訟をまとめたものですが、“ブラック・スワン訴訟”の判決を境に、同様の訴訟が急増しています。先にお伝えしたMSG訴訟も、この判決の3カ月後に起こされたものです。

表:無給インターンによる訴訟

米国のスポーツ組織は“ブラック企業”?:日経ビジネスオンライン

訴訟日被告場所業界原告の主張状況
2013年9月30日セシ・ニューヨーク、セシ・ジョンソンニューヨーク州ニューヨーク市デザイン最初の3カ月は日給8ドルだったが時給12ドルに昇進。仕事内容は変わっていないため最初の3カ月の損失分の補償を要求係争中
2013年9月16日マディソン・スクエア・ガーデン、MSGホールディングスニューヨーク州ニューヨーク市エンターテインメント正社員と同じ労働時間や業務を無給で遂行した。インターン期間の給与の補償を要求係争中
2013年9月16日米ソニー、ソニー音楽ホールディングス、コロンビア・レコーディングスニューヨーク州ニューヨーク市エンターテインメント2008年5月~8月まで無給で労働。同期間の給与の補償を要求係争中
2013年8月28日ダナ・キャラン・インターナショナル、ダナ・キャラン・スタジオニューヨーク州ニューヨーク市ファッションコーヒー係や服の収納などの雑用を課せられた。インターン期間の最低賃金の補償を要求係争中
2013年8月23日プレミア・スタジオ、ロナ・シュナイダーマン、サンディ・シュナイダーマンニューヨーク州ニューヨーク市エンターテインメント無給インターン後正社員として時給8ドルで雇用されたが、インターン時と労働内容は変わっていないとして損失分の補償を要求係争中
2013年8月23日ナーブドットコム、バーブル・メディア、ルーファス・グリスコム、シーン・ミルズニューヨーク州ニューヨーク市メディア・出版最低賃金以下で正社員と同等の業務をした係争中
2013年8月20日ユニバーサル・ミュージック・グループ、バッドボーイ・エンターテインメントニューヨーク州ニューヨーク市エンターテインメント電話対応、コピー取り、コーヒー係などを週3~4日担当したが給与は出なかった10月に原告が訴えを取り下げ
2013年7月30日デイビッド・ジャンカー、フィルムド芸術アカデミー、フィルムド・エンターテインメント、シネマティック・アーツ・エクスピアランスカリフォルニア州オレンジカウンティ郡エンターテインメント月250時間を時給40セントで労働。昇進後も時給1ドルしか与えられなかった係争中
2013年7月22日トーマス・クックマン、ナショナル・レコーズ、クックマン・インターナショナルカリフォルニア州ロサンゼルス市エンターテインメント休み時間がなく、食事時間は短縮され、出張の旅費は自己負担だった係争中
2013年7月3日NBCユニバーサルニューヨーク州ニューヨーク市エンターテインメント正社員と同じ労働内容を無給で課せられた係争中
2013年6月27日ブルックブラザーズ・プロダクション、ラリー・シュワルツ・メディアグループニューヨーク州ニューヨーク市エンターテインメント一日10時間以上労働したが、職業訓練の要素はなかったため正社員として見なされるべきだった8月に和解(金額は非公表)
2013年6月27日ワーナー・ミュージック・グループ、アトランティック・レコーデングニューヨーク州ニューヨーク市エンターテインメント様々なデスクワークを無給で課せられたが、これは公正労働基準法に違反する係争中
2013年6月25日ニュース・コーポレーション、フォックス・エンターテインメント・グループカリフォルニア州ロサンゼルス市エンターテインメント正社員と同じ労働内容を無給で課せられた係争中
2013年6月24日21Cメディアグループニューヨーク州ニューヨーク市PR・マーケティング週40時間働いたが月給300ドルとメトロカードしか支給されなかった係争中
2013年6月21日ガウカー・メディア、ニック・デントンニューヨーク州ニューヨーク市メディア・出版2008~2010年の夏期インターンシップ中に週15時間以上働いたが、一切補償は支給されなかった係争中
2013年6月17日ワーナー・ミュージック・グループ、アトランティック・レコーディングニューヨーク州ニューヨーク市エンターテインメント8か月間フルタイムで働いたが、給与も研修・指導も一切なかった係争中
2013年6月13日コンデナスト・パブリケーションズニューヨーク州ニューヨーク市メディア・出版時給1ドル以下での労働を課せされた係争中
2013年5月29日ノルマ・カマリニューヨーク州ニューヨーク市ファッション正社員と同じ労働内容を課せられたが、交通費の補償のみだった6月に和解(金額は非公表)
2013年4月22日ピッツバーグ・パワー・フットボールペンシルバニア州ピッツバーグ市スポーツ2011年~2012年の間無給インターンとして働いたが、これは公正労働基準法と最低賃金法に違反する係争中
2013年3月12日ポルテラ法律事務所ニューヨーク州ニューヨーク市法律週40時間以上働いたが、教育的・職業訓練的な利益はなかった係争中
2013年2月13日エリートモデル・マネジメントニューヨーク州ニューヨーク市ファッション正社員と同じ労働内容を無給で課せられた係争中
2012年12月20日ハミルトン大学ニューヨーク州クリントン町スポーツアシスタントコーチとして働いたが、最低賃金以下の補償しか得られなかった係争中
2012年12月18日ブライアン・リッチテンバーグカリフォルニア州ロサンゼルス市ファッションカリフォルニア州労働法で保護されている対象社員であるため補償を得るべき係争中
2012年7月3日フェントン・ファロン・コーポレーション、ダナ・ロレンズニューヨーク州ニューヨーク市ファッション正社員と同じ労働内容を無給で課せられた2012年9月に和解(金額は非公表)
2012年7月3日フェントン・ファロン・コーポレーション、ダナ・ロレンズニューヨーク州ニューヨーク市ファッション正社員と同じ労働内容を無給で課せられた2012年9月に和解(金額は非公表)
2012年6月29日コリアー・アネステシア、P.A.、ウォルフォード大学フロリダ州ネイプルズ市医療・ヘルスケア正社員と同じ労働内容を無給で課せられた係争中
2012年3月14日チャールズ・ローズ&チャーリー・ローズニューヨーク州ニューヨーク市エンターテインメント学期を通して週2、3日、1日平均6時間を無給で働いた。これは最低賃金法に違反する2012年12月に和解
2012年2月1日ハースト・コーポレーションニューヨーク州ニューヨーク市メディア・出版正社員と同じ労働内容を週55時間無給で課せられた2013年5月に集団訴訟の認可は棄却された
2012年1月4日ニューヨーク市教育省ニューヨーク州ニューヨーク市教育生徒間の暴行率の高い高校で無給労働を課せられた2012年12月に原告の訴えは棄却。原告は控訴
2011年9月28日フォックス・サーチライト・ピクチャーズニューヨーク州ニューヨーク市エンターテインメント最低賃金法に違反する2013年6月に原告側が勝訴。被告は控訴
2011年9月16日コードブルー・ビリング、マグネティック・メディカル・マネジメント、東フロリダ眼学研究所フロリダ州ボカ・ラトン市、パームビーチガーデン市、ウェリントン町医療・ヘルスケア教育的利益も給与も得られなかった2013年1月に被告側が勝訴

出所:ProPublica(日本語訳はトランスインサイトによる)

 無給インターン訴訟が急増する背景には、“訴訟大国”米国ならではの事情も見え隠れします。1つの訴訟を手掛けた法律事務所が、別の企業、別の業界に提訴の手を広げて行くのです。飯のタネになると見た別の法律事務所も次々に“参戦”してきます。

 法律事務所の中には、インターン経験者から訴訟ネタを収集する「無給インターン訴訟・コム」なるサイトを立ち上げるものも現れています。

 また、保護者が授業料を支払う日本と違い、米国では多くの大学生は学生ローンにより自ら授業料を返済します。Wall Street Journal紙によると、米国の大学生は卒業時に平均3万ドル(約300万円)の借金を背負っています。その借金を少しでも返済したいという動機も、こうした無給インターン訴訟を加速する要因として挙げられるでしょう。

 しかし、このまま無給インターン訴訟で原告勝訴の流れが続けば、学生は採用されやすい無給インターンでは会社の利益に直結しない雑用レベルの仕事しかできないことになりますし、それ以上の仕事をしたいなら、ハードルの高い(募集の限られる)有給インターンに応募しなければなりません。いずれにしても、これから就職活動を控え、無給インターンであっても正社員へのチャンスを掴みたいと考えるハングリーな現役学生の中には、「余計な事するなよ」と感じる者もいるかもしれません。

 前述しましたが、こうした訴訟は見方によっては過去のインターンの僅かな逸失賃金の回収のために、未来のインターンの利益に資する貴重な「無給インターン」という仕組みが犠牲になるとも考えられるものです。そのため、「本当に無給インターンは悪いのか?」という点から侃侃諤々の議論が繰り広げられています。

 無給インターン擁護派からは、「授業料要らずで貴重な経験を学ぶことができる」「企業はコスト削減でき、学生は職務経験を積める。損をする人はいない」「制度そのものが悪いのではなく、問題が生じるのは運用の良し悪しによる」「無給インターンは強制ではなく、合意のもとで希望したもの。それを後になって訴えるのは筋違い」といった意見が挙がっています。

 一方、反対派からは、「営利企業における無給労働は違法であり、犯罪である」「無給労働は奴隷労働につながる発想であり、人権侵害だ」「無給インターンに耐えられるのは裕福な家庭だけ。貧富の差を労働機会に持ち込むのは不適切」といった声が多く聞かれます。

インターン受け入れ側の率直な意見は

 弊社も米国の大学や大学院から無給インターンを受け入れています。受け入れ側の気持ちとしては、せっかくインターンとして来てもらったのだから、できるだけレベルの高い仕事を経験してほしいと思いますし、それが給与に代わるインターンへの対価になると信じてやっています。しかし、会社の利益に直結する仕事が法律違反になってしまうのであれば、(インターンのことを思えば残念ですが)レベルの低い仕事や雑用を中心にせざるを得ません。

 有給インターンを雇うという選択肢もありますが、この場合は「報酬を支払うだけのアウトプットが本当に出せるのか」を見極める必要があり、どうしても採用には慎重になってしまうでしょう。経験的に、インターンを即戦力として使えるか(直ちに会社の利益になるのか)どうかを事前に見極めるのは簡単でなく、提供できる仕事内容によっても変化するケースが多いため、弊社のような小規模な会社で有給インターンに踏み切るには勇気が要ります。

 弊社では過去8年間に30人近いインターンを採用していますが、インターンに報酬を支払う、支払わないで、もめたことは一度もありません。制度自体が違法かどうかはともかく、うまく運用すれば採用側にも学生側にもメリットがある制度だと感じます。

 戦力になるインターンもいれば、ならないインターンもいます。それを事前に見極めるのは容易ではありませんし、見極めるのに大きな手間をかけるくらいなら、「採用を迷った(手間がかかる確率の高い)インターンは取らない」という基準を作った方が経済合理的で楽だというのが本音です。ですから、仮に無給インターン制度がなくなったら、弊社では受け入れる学生の数は減るでしょう。

 法律とは、人間の暮らしを安全で快適にするために存在するものです。スピード違反と一緒で、法律違反を例外なく逮捕していては、むしろ渋滞が頻発したり、安全運転に支障を来したりなどの弊害を生むこともあり得るでしょう。それでは本末転倒です。

 両者合意の下であるなら、無給インターンという制度を広い範囲で認めてもいいのではないか、というのが私の率直な意見です。

コラムの最近記事

  1. ZOZO球団構想を球界改革の機会に

  2. 東京五輪を“レガシー詐欺”にしないために

  3. 米最高裁がスポーツ賭博を解禁

  4. 運動施設の命名権、米国より収益性が低い訳は?

  5. 米国で急拡大、ユーススポーツビジネスの不安

関連記事

PAGE TOP