1. コラム

タックル禁止やヘディング禁止は当たり前?

このコラムは日経ビジネスオンライン「鈴木友也の米国スポーツビジネス最前線」にて掲載されたものです

 昨年11月の全国高校アメリカンフットボール選手権準々決勝で、名門校である関西学院(兵庫)の3年生選手が試合中に意識を失い、その4日後に急性硬膜下血腫で死亡するという痛ましい事故が起こりました。3年生選手はフェイスマスク付近に相手選手から強いヒットを受けて意識を失い、吹田市内の病院に運ばれて緊急手術を受けたそうです。

 同選手は事故の3カ月ほど前から頭痛を訴えて市販の鎮痛薬を服用しており、事故の1週間前にも「頭痛が悪化している」と漏らしていたようです。しかし、監督やチームドクターらはこの事実を把握しておらず、試合直前に同選手がトレーナーらに「大丈夫です」と答えたことや、整骨院で肩こりに伴う筋緊張性頭痛と指摘されていたこともあり、試合への出場が許可されたとのことです。

 関西学院はこの事故を受け、今年3月18日に事故調査の最終報告書を公表しました。報告書では、頭痛と事故との因果関係は不明と結論づけられましたが、頭痛の問診票の作成や頭部の血管検査の実施などの再発防止策が講じられることになりました。

 私も大学時代にアメフトをやっていた者として、プレーにけがはつきものという感覚を持っています。膝や首、腰などに持病を抱えながらプレーする方が普通で、どこも痛くない体で試合を迎えられることの方がまれでしょう。しかし、脳震とうなど頭のけがは目に見えず、周りからもその症状を伺い知ることが難しいものです。

 命を落とした高校生のご冥福を祈るとともに、今回のコラムではコンタクトスポーツと脳疾患の関連性について、欧米スポーツにおける潮流の変化をご紹介しようと思います。

パンドラの箱を開けてしまった異国人医師

 競技中のコンタクトと脳疾患の関連性が初めて疑われたのは、米国プロフットボールリーグ(NFL)でした。NFLは、競技中のコンタクトの脳に与える危険性を知りながらそれを選手に伝えなかったとして、2011年に5000名を超えるOB選手から集団訴訟を起こされ、昨年4月にその和解が正式に成立しました。NFLは、引退後に慢性外傷性脳症(CTE)やパーキンソン病、アルツハイマー病などの脳疾患を患った選手や家族に、総額10億ドル(約1100億円)の補償金を支払うことで合意しました。

 この一件は映画にもなっているので、興味がある方は見て下さい(映画「コンカッション」)。世界で最もビジネスとして成功しているNFLに喧嘩を売るのは、なかなかできることではありません。パンドラの箱を開けてしまったのは、アメリカで永住権を取得したナイジェリア出身のベネット・オマル医師。元NFL選手が原因不明の頭痛やめまいなどから自殺や異常行動(高速道路を逆走するなど)を取ることが頻発していたことに気付いたオマル医師は、その原因が現役時代のプレーに起因する脳疾患にあることを突き止め、文字通り医師生命をかけてNFLにその対策を求めて奔走します。

 そのオマル医師役にふんするのが、ウィル・スミス。彼の演技が実に上手いです。日本でも昨年公開されましたが、是非オリジナル音声(日本語字幕)で見て頂きたい。アフリカなまりの英語を話す、芯の強い異国人医師を熱演しています。最後にNFL選手会の会合に招かれて行った彼のスピーチは本当に感動ものです。

 それはさておき、この脳震とう訴訟の影響は大きく、当時のオバマ大統領も「私はフットボールが大好きだが、もし息子がいて“フットボールをやりたい”と言い出したら、長い時間をかけ一生懸命考えなくてはならないだろう」と発言しています(オバマ大統領はスポーツと脳疾患の関連性に大きな関心を示し、2014年5月には研究者や選手、保護者、プロスポーツリーグ関係者などをホワイトハウスに招待して“脳震とうサミット”を開催しました)。

 事実、NFLの脳震とう訴訟が表沙汰になって以来、米国におけるフットボールの6~14歳の競技人口は2010~2015年の5年間で、約300万人から217万人へと27.7%も激減しています(関連記事はこちら)。若年層の競技人口の減少は、競技の頂点に位置するプロスポーツにとって死活問題です。今はこの世の春を謳歌しているNFLですが、あと10年後、20年後も同様の地位にいるかは分かりません。

 NFLもこれまで黙って手をこまぬいてきたわけではありません。NFLはこの脳震とう問題を最優先の経営課題と位置づけ、矢継ぎ早に改革を進めてきています。以前に過去記事「アメリカの試合から迫力が消える?」でも解説しましたが、最も脳震とうの起こる確率の高いキッキングゲームのルールを変更したり、無防備な相手への危険なタックルには多額の罰金処分を課したりしたことなどは、こうした姿勢の変化の現れです。

 プレー中に脳震とうらしき症状が出た際の復帰手順についても「脳震とうプロトコル」としてリーグ統一基準を策定し、現場のヘッドコーチなどとは別の第三者によって復帰の可否が決められるようになりました。手順が守られない場合は、罰金やドラフト指名権の没収などの厳しい罰則が科せられます。

競技・国境を超える脳震とう問題

 同様の脳震とう訴訟は、プロリーグのNFLだけでなく、NCAA(大学スポーツ)や高校フットボール界にも瞬く間に広がっていきました。NCAAでは、今年1月時点で元フットボール選手から既に40以上の脳震とう訴訟が提起されています。そして、この流れは競技を超え、アイスホッケーやサッカーなどにも拡大してきています。

 プロホッケーリーグ(NHL)でも、NFL同様に元選手から集団訴訟が起こされていますが、NHLは「脳震とうと脳疾患の研究はまだ初期段階にあり、明確な因果関係は分かっていない」というスタンスを崩していません。

 アメフトやアイスホッケーに比べると、サッカーは安全というイメージがあるかもしれません。しかし、最近の調査によると、サッカーでもヘディングで脳震とうが起こることが分かってきており、また男子サッカーより女子サッカーの方が脳震とうリスクが高いことなども分かって来ています。

 こうした中で、各スポーツ統括組織や学校管理団体などが、脳震とうの予防や起こった際の対処(サポート体制の充実や復帰手順の明確化など)について積極的に対応を行うようになってきました。米国の場合、危険性を知りつつ対処を怠ると、すぐに訴訟を起こされるため、訴訟リスクがその大きな原動力になっています。そして、2015年11月に米サッカー協会が衝撃的な脳震とう対策を発表して話題になりました。

 同協会は10歳以下の子供のヘディングを禁止し、11~13歳の子供は練習中のヘディングの回数に制限をかけることを決定したのです。この安全指針も訴訟に端を発した和解によってもたらされたものですが、協会傘下にあるアンダー世代の代表やアカデミー、国内プロリーグ(MLS)のユースチームに適用されることになりました。

テストの前には子供にサッカーをさせるな!?

 今やサッカー界の脳震とう問題は、国境を越えてヨーロッパでも議論されるようになってきています。

 英スターリング大学は昨年10月、研究によりヘディングが脳の短期記憶機能に重大な影響を及ぼすことが判明したと公表しました(関連記事はこちら)。通常のヘディング練習と同様の状況を再現した後に選手たちの記憶テストを行うと、記憶機能が24時間で41パーセントから67パーセントの幅で低下していたことが明らかになったといいます。これを受け、「テストの前には子供にサッカーをさせるな」というブラックジョークもささやかれるようになりました。

 こうした研究機関の調査結果を受け、イングランドプロサッカー選手協会(PFA)は昨年末、米国に倣って10歳未満の子どものヘディングを禁止するようイングランドサッカー協会(FA)に提言しています。

 2017年に入ると、ようやくサッカーの統括団体であるFIFAやUEFAもその重い腰を上げ、プレーと脳疾患の関連性を検証する調査プロジェクトを開始しました。

手遅れになる前に

 脳震とう問題がスポーツ組織にとって喫緊の経営課題であるという認識は、残念ながら多くの選手の犠牲の上にでき上がったものです。映画「コンカッション」にも描かれていますが、NFLでは、ピッツバーグ・スティーラーズの往年の名選手で殿堂入りもしたマイク・ウェブスター氏が頭痛や記憶障害を訴え、家族と離れてホームレス同然の生活をしながら不審死を遂げました。また、シカゴ・ベアーズで活躍したデイブ・デュアソン氏が「自分の脳を研究に役立ててほしい」との遺書を残し、胸を打ち抜いて自殺する(脳を傷つけないため)など、悲劇が後を絶ちませんでした。

 欧州サッカー界で現役中のプレーと脳疾患の関連性が議論され始めたのも、元イギリス代表選手だったジェフ・アッスル氏が脳疾患により2002年に59歳の若さで急逝したことを受けたものです(この悲劇を受けて、イングランドサッカー協会がFIFAにプレーと脳疾患の因果関係を調査するように要請)。アッスル氏の死を受け、スポーツと脳疾患の関連性を研究し、その危険性を啓蒙する「ジェフ・アッスル基金」が設立されています。

 インターネットの発達によってあらゆる情報が共有される現在、日本のスポーツ界も他人事では済まされません。米国のように、悲劇の末に多くの訴訟が起こされるようなことにはなって欲しくないと思いますが、適切な対処が講じられなければ同様の訴訟が起こるかもしれません。

 スポーツ組織の幹部は、もはや「知らなかった」では済まされない時代にいるのだという認識を肝に銘じなければいけません。日本でも、プロスポーツは言うに及ばず、学生スポーツやユーススポーツの現場でも、単に脳震とうが起こった場合の対応手順や復帰プロセス策定などの対処に留まらず、脳震とうに対する予防的・抜本的な対策が求められています。

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